不確かな絆
8
月明かりの寝室で、ベッド脇に立ったまま静かに互いの服を脱がせあった。自分も服を剥がれながら、満澄が冴島のシャツを取り去ると、冴島の逞しい上半身が月の光に照らされる。冴島の胸と背中には、まだ縫合後も生々しい傷跡が残されている。
レースのカーテン越しに射し込む青く冷たい光の中、満澄は眼を凝らして間近に傷を眺め、胸にある大きい方の傷をそっと指先でなぞった。
「…ッ」
ぴくりと冴島が身体を震わせた。
「痛むか?」
「いや…」
冴島は呟くように答えた。
新しい細胞が盛り上がるように傷を修復した痕は、痛みではない微妙な感覚を冴島にもたらしたようだった。
満澄は冴島の身体を引き寄せると少し前かがみになって、冴島の胸の傷に唇を寄せた。唇を押し当て、舌でゆっくり傷を舐める。
この傷跡は一生消えないだろうけど、冴島が感じた痛みを少しでも慰められるように。
と、冴島が満澄の頭上で微かな吐息を洩らした。
誘われるように満澄は顔を上げて、自分の唇を冴島の乾いた唇に重ねる。角度を変えて何度も口づけ、強張りを解いた冴島の歯列に舌を滑り込ませる。
「んっ…」
冴島が力強く抱き返して来て、口づけがふいに深まった。貪るように互いの口腔を舐め回して、どんどん熱が高まって行くのを感じる。バランスを崩したついでに、ふたりして脇のベッドにもつれるようにして倒れ込んだ。
満澄が冴島にのしかかる形になって、「あっ」と満澄は小さく声を上げた。冴島の傷の上を押さえ付けてしまったかと思ったからだ。
「だいじょうぶか?」
焦って訊ねると、至近距離の冴島の双眸が濡れて光っていた。視線が絡むとふっと冴島の瞳が不敵に笑った。
「おれより、自分の身体の心配しろよ……」
「なに?」
「あんたがさっきから煽るから、いきなり突っ込みたくなった」
身も蓋もない言われように満澄は眉を顰めた。
「いきなりは無理だぞ」
冴島の大きさを身を持って知っている満澄は、それでも精いっぱい譲歩してささやいた。
「……でも多少のことなら我慢してやる」
そんなことばが冴島の官能を刺激したのか、冴島は捕食者の眼になった双眸を眇めると、身体の位置くるりと入れ替えて満澄を組み敷いた。
「ん、ぁっ……、あぁっ、さ、えじまッ」
うろたえ切った声に、追い討ちをかけるように潤んだ水音がぴちゃぴちゃと響く。
満澄は予想外のとんでもない箇所に舌を這わせている男の髪を掴んで顔を引き剥がそうとするのだが、膝を割られてがっしりと押さえ込まれた体勢ではまるで効果がない。
「もう、やめっ、…あぁッ!」
制止を気にも留めずに、身体の奥の窄まりにぬるりと冴島の舌先が挿し込まれた。
「あっ、はぁ…ッ」
腹筋を戦慄(わなな)かせて、満澄は身を捩らせる。
いきなり突っ込みたくなった、などと言ったくせに、冴島は満澄の手元に潤滑ローションの類いの何もないことを知ると、迷わず満澄のそこに舌を這わせたのだった。
指で解されるものだとばかり思っていた満澄は心底驚いて抵抗したが、本気の冴島にかなうはずなく。
「ぅ…あっ、はっ、…んんッ」
敏感な入口の襞の一枚一枚を舌先で解かれて、とても自分の声だとは信じられないような喘ぎが押さえられない。拷問のような快感に満澄の正気は焼き切れる寸前だ。
「た、敬…ッ、もう、……いいからっ」
我知らず哀願するような掠れた声で訴えるが、
「まだ固い……」
ささやかれた息が、ふっと濡れた粘膜に届いて、ざわりとした衝撃が背筋を走る。
「怪我させたくないから。…もっと中まで、見せてくれ」
「ああぁッ」
潤んだ窄まりを指で開かれて、もっと奥へと舌が潜り込む感触に、満澄の喉からは悲鳴のような声が迸った。勃ちあがって涙を零していた満澄の物が、びくんと脈動する。
舌先では届かないそこに焦らされるような愛撫を施されて、満澄は目尻に涙を滲ませて身悶えた。
「うぁっ、あぁ……」
ようやく冴島の指が埋め込まれて、舌先では届かなかったポイントを探り始めた。指は一本、二本と徐々に増やされて、蕩け始めた粘膜をぐちゃぐちゃと掻き回す。ぐりと中から押されて「…っ!」と満澄が息を飲む。
「た、かしっ、来い! 早くッ」
苦しい息の間から満澄は冴島を呼んだ。
「おれの、…奥まで、……来いっ!」
こんな風に冴島を誘ったことは今までなかった。満澄は初めて自らが冴島を欲していることに気づいていた。
奥まで来い! おれの中に刻みつけろと。
「…っ」
熱く大きな質量を持った冴島の昂りが押し当てられた。満澄が息を飲む暇もなくずくりと先端を埋め込まれると、満澄の蕩けかけた粘膜を蹂躙しながら奥へと入ってきた。
「――ッ…!」
その瞬間に悲鳴を上げないように唇を噛みしめていた満澄のかわりに、満澄の隘路(あいろ)は悲鳴をあげ、苦痛の先の圧倒的な快感を予感して期待に震え、冴島の熱い欲望に嬉々として絡みついた。
「くっ、…ふっ、満澄、…キツ…イ」
堪え切れないような声音で冴島が言った。
「あっ、はぁ、はぅっ」
ぎりぎりと冴島を締めつけてしまい、息を吐いてなんとかそこを緩めようとしても、満澄の意志に反して身体が暴走を始める。苦痛から逃れようと足掻きながら、さらなる刺激を引き起こしてしまう。
「た、敬ッ…」
助けを求めるように喘いだ満澄を、冴島は力強く引き寄せた。ほとんど両足を肩に担ぎ上げるようにして、力任せに腰を打ちつけた。
「あぁ――ッ!」
根元まで埋め込まれて、冴島が最奥まで届いた感触があった。同時に突き上げられて、繋がった部分を中心に凶暴な快感の激流が体中に拡がっていく。
「――満澄…」
切なげに名前を呼ばれて満澄は目を開け、こちらを見下ろす汗を光らせた冴島の精悍な顔を見た。苦しそうに眉を寄せた表情に、ぞくりと鳥肌が立ちそうになる。こんな顔をさせているのは、自分だと気づいているから。
――愛している、……たぶん。
冴島に伝えていなかったのは、きっとこのことばだ。込み上げて来る思いが、ことばになって満澄の声帯を震わせる前に、冴島が予告なく抜き差しを始めた。
「んっ、…あッ、うっ、ぁあっ、あぁッ!」
伝えることばのかわりに、満澄の唇からはもし正気がもっと残っていたら、本人が聞くに耐えきれないような甘い喘ぎ声が零れた。
粘膜を絡ませながらズルリと抜かれて、すぐに挿し戻される。内臓を裏返しにされるような刺激を繰り返されて、理性がスパークしながら白く焼き切れていく。
「――満澄…ッ!」
「あ…っ、た、か…しッ、イイっ! あぁッ」
「――ッ、…ま、澄…ッ!」
激しくなる律動と共に、乱れる呼吸と鼓動と、粘着質の水音が、月明かりの中で大きく響く。
互いの境目がわからなくなるほど溶け合い、貪りあう満澄と冴島を見ていたのは、冷たく輝く無機質な月だけだった。
満澄が気がついたときは、窓の外は引かれた薄いカーテン越しに白々と朝の予感が忍び込む気配だった。
ベッドの中で身じろいで、満澄は身体の奥で疼いた痛みに顔を顰め、自分の脇に寝ているはずの身体を探ろうとした手は、そのまま空を掻いた。
「……!」
そこにいたはずの男の姿がなかった。
驚いてベッドから起き上がって辺りを見回しても、昨晩この部屋に冴島がいたという痕跡を、満澄は何ひとつ見つけ出すことはできなかった。
情交の後の残滓さえきれいに拭われ、清められたらしい身体を確認して、満澄は唇を噛みしめた。満澄には身体の痛みと、心の痛みを残しただけで、冴島は消えてしまった。
「……ばか。――一緒に、堕ちてやるのに……」
呟いて満澄は肩を震わせた。シーツを握りしめ、嗚咽を殺して満澄は泣いた。
以来、冴島の行方は知れない。満澄は恥を忍んで間宮に頼み込み、瀬川のところに問い合わせたりもしてみたが、『所在は把握していない』と取り合ってもらえなかった。冴島が自らの意志で姿を消したのだから、たぶん捜しても無駄なのだろう。
奴が生きてさえいれば、またどこかで会えるかもしれないと満澄は思う。
いつかみたいに目の前でこちらの獲物をさらいながら、精悍に整った顔に不敵な笑みを刻んで、遠くから満澄のことを見つめるのだ。