幻のような夜に

 美里の誕生日は十二月二十一日で、クリスマスイブは誰でも知っての通り二十四日だ。イベントシーズンで何かと忙しい年末のこの時期、美里の誕生日とクリスマスを一緒くたにして、間宮がまとめて面倒をみようとするのは仕方のないことだと美里は思っている。
  だからクリスマスイブの今夜、間宮はまとめて『イベント』をしてくれるはずだ。ちゃんと美里が希望したプレゼントを用意して。

 一週間前。夜、自宅マンションのリビングでくつろいでいたとき、
「何か欲しいものはあるか?」
  と、間宮に訊ねられて美里は即答した。
  美里の欲しいものが相当意外だったのか、いつもクールな素振りの間宮が珍しいことに絶句して、美里の顔を見返したのだった。
「だめ……?」
  美里が上目遣いに訊ねると、間宮は眉間にしわを刻んで難しい顔をした。
「――おまえ、いつからサンタになったんだ」
  間宮は困ったような声で言った。
「クリスマスイブだもの」
「おまえの誕生日だろう?」
  それなら本当は三日前だ。
「一緒にやるくせに」
  最近では、口で美里が間宮に負けることは滅多にない。
「………」
  しばらく考え込んでいた間宮は、やがて大きなため息をひとつ吐いて言った。
「わかった。だが保証はできないぞ」

 保証はできないと間宮は言ったが、きっと美里の希望は叶えられると美里は思っている。間宮は口では意地悪を言ったりするけど、美里の願いはいつも聞き届けてくれるからだ。

 午後、クリスマスの買い物帰りに美里は間宮の事務所に顔を出した。間宮は自分のデスクで電話中だった。満澄はパソコン前の席に座ってじっとモニタ画面を見つめている。美里が入ってきたのにも気づかないようだ。
「満澄さん?」
  背後から声を掛けると、大きな背中がびくんと揺れた。
「あ、美里か」
  驚いたように振り返って、満澄はぎこちない微笑を浮べた。
  この数週間、満澄はずっとこんな調子だ。間宮によれば、満澄は言われた仕事はちゃんとこなしているそうだが、口数が減って、ときどきこんな風にぼんやりしているらしい。
  電話を終えた間宮が受話器を置いて言った。
「今夜のメニューは何だ?」
「ビーフシチュー。帰ってこれから煮込まなきゃ」
  美里はデパ地下で奮発して買い求めたばかりの、高級牛肉の袋を掲げて言った。
「そうか、楽しみだな」
「間宮さんこそ、約束のプレゼント、だいじょうぶだよね?」
  美里が念を押すと、間宮はメタリックフレームの眼鏡を光らせて唇の端で笑った。余裕の表情は肯定と取っていいのだろう。
  満澄は会話に加わることもなく、モニタの前で遠くを見ているような目つきをしている。『今日の夕食を一緒に』と誘っても、きっとふたりに遠慮して来ないだろうなあと、美里は思う。
  すると間宮が満澄に向かって言った。
「満澄、急で悪いが、今夜九時に天王洲アイルへ行ってくれ」
「今夜九時? 天王洲アイル……?」
  いきなり夜のベイエリアに何の用なのだろうと、きょとんとした満澄が太い眉の下で奥二重の眼を瞬かせた。
「なんだ、予定でもあるのか?」
  意地悪そうな声で間宮が訊ねた。
  クリスマスイブにそんな言い方をする間宮は、ちょっと酷いと美里は思う。
「いや、…ない」
「詳細は追って連絡する」
  間宮は事務的な感じに言って、天王洲アイルのシーフォートスクエアにあるホテルの名前を告げた。
「今夜九時までに正面玄関前だ。携帯を忘れるなよ」

     ◆ ◇ ◆

 宝石箱なんて見たことないが、ぶちまけるとこんな夜景になるのだろうかと、満澄は思う。東京湾の夜景は、冬の刺すように冷たい風の中で必要以上にきらきらと輝いているように満澄の目には映った。眼を向ける方角を変えれば、お台場やレインボーブリッジの夜景も見えるはずだ。
  間宮に言われるがまま、満澄は九時前に指示されたホテルの正面玄関がよく見渡せる屋外で、冷たい北風を避けて、イルミネーションで飾られた植え込みの陰に隠れるようにして立っていた。レザーコートの下にはセーターを着込んで、ジーンズにショートブーツの完全防備だったが、じっと立っていると冷気が体中にしみ込んでくるようだ。
  ――どうせならホテルのロビーにしてくれたらいいのに……。
  これまでも詳細を教えられずに間宮の指示で動くことは割とあったから、こんなことは慣れているには違いないが。よりにもよってクリスマスイブに、どうして寒空の下でひとり、歯の根も合わないほど震えていなくちゃならないのか。
  この時期、毎晩のようにパーティーが開かれているのだろう。着飾った男女がひっきりなしに笑いさざめきながら、ホテルのエントランスを行き交っている。
  なんておれは場違いなんだろうと、満澄は自嘲ぎみに思う。
  仕事とはいえ、満澄は何だか恨めしい気持になってくる。今頃間宮は、自宅で美里と一緒なのだろう。早く次の指示を寄越してくれ、と満澄は切実に願った。
  と、いっそう華やかな集団がホテルのロビーから正面玄関前に現れた。金持ちの盛大なパーティーでもお開きになったのだろうか。会場の華やいだ雰囲気を引き連れたまま、ドレスやタキシード姿の一群が、つぎつぎと車寄せに現れる高級車の後部座席へと吸い込まれて行く。
「…っ!」
  さりげなく観察していた満澄は、その集団の最後の人影に一瞬で目が釘付けになった。ここからエントランスまで約十メートル。着飾ったドレスは淡い色なのに、真冬に突然現れた熱帯魚のような華やかな若い女性の隣、長身のスーツ姿の、男の立ち姿に見覚えがあった。
  そのときポケットで携帯電話が震え、満澄は凍える手で携帯を掴み出した。表示は間宮からだった。
(満澄――)
  間宮の声を聞きながら、呆然として満澄は、しかし必死にその男の姿を目で追っていた。
  女性をエスコートしていたスーツ姿の男がこちらの視線に気づいて足をとめた。
(クリスマスプレゼントは受け取ったか?) 間宮の声は聞こえるが、言われていることは満澄の頭の中で何だか意味をなさない。
  女性もこちらに気づいて、何ごとかスーツの男に耳打ちすると、ひらりと身をかわしてひとりで迎えの車の後部座席に乗り込んだ。
  そのまま車は走り去り、エントランスにはスーツ姿の男がひとり残された。精悍な整った容貌がこちらを見て、明らかな驚きの表情が拡がっていく。
(満澄、聞いているのか?)
  間宮の声が遠くに聞こえる。
「あ、ああ……」
  ようやく満澄は答えた。我ながら酷く声が上擦っている。
(プレゼントは美里からだ。今日の業務はこれで終了だ。メリークリスマス)
  それだけ言って、間宮の電話は一方的に切れた。
  震える手で携帯をたたんで、満澄はコートのポケットに落とし込んだ。満澄の足はホテルの明るいエントランスへと向かっている。もう数メートル先、男はその場に立ったまま幸い逃げる様子はない。鼓動が大きく波打つ。
  その間にも、男の表情は驚きのそれから、わずかな苦笑の表情に変化していく。互いの視線は絡まったまま。やがて精悍に整った顔に不敵な笑みを刻んで、男は満澄が近づいて来るのを待った。

 

END