「で、きみはドクター・フォックスの何なんだ?」
仕方がなく言われるがままソファに腰を下ろした僕は、ドクター・タチバナの不躾な言い様に眼を見張った。ドクター・フォックスの同僚だと言ったが、明らかに友好的ではない口振りは、彼とドクター・フォックスの間柄がそんなに良好ではないことを想像させた。
「ぼ、僕は、…その、ドクター・フォックスの秘書です」
なるべくなら何も話したくはなかったけれど、強い口調で質されて僕はすっかり畏縮していた。
「秘書?」
ドクター・タチバナは思いきり眉を引き上げた。
「わたしがそんなことを信用すると思っているのか。きみは島から来たと言っていただろう。ドクター・フォックス『グラスハウス』で暮らしているんじゃないのか?」
断定的な言い方をされて僕は悟った。ドクター・タチバナは最初から僕とドクター・フォックスとの間柄を疑っているのだ。特別な関係があると。つまり『恋人どうし』だろうということを。
「……ハウスキーパーを兼ねているので」
しかし、ドクター・タチバナはまるで僕の話を聞いていないかのように、じっと僕の顔を見つめた。
やがてドクター・タチバナが絞り出すような声で言った。
「まさか、あの男がそこまでするとは……」
あの男というのがドクター・フォックスのことを指しているのは僕にもわかった。言っている意味はわからなかったけれど。
ドクター・タチバナは、苦悩と嫌悪に満ちた視線で僕を見た。
僕は訳がわからなかった。ドクター・フォックスなら、もっとわかるように説明してくれるだろうか。
「抱かれているのだろう? あの男に」
突然投げられた直接的には表現に、僕は一瞬で固まった。
こっそり大学なんかに来なければよかったのだ。どうして僕はこんなところにいるのだろう。どうしてドクター・フォックスに迷惑が掛かるかもしれないことを、僕はしているのだろう。
「そ、それは……」
何とか言い逃れすることばがないかと、口ごもっていると、ドクター・タチバナが冷ややかな声で付け足した。
「きみは、あの男の『愛玩具』なのだろう?」
「……ッ!」
今度こそ僕は絶句した。ドクター・タチバナは僕のことをドクター・フォックスのおもちゃだと言っているのだ。こんな酷いことばが想像できただろうか。僕の人格もアイデンティティーも全て否定された気がして、衝撃のあまり目の前が涙で滲んだ。
なによりも僕はドクター・フォックスが大好きで尊敬してたし、ドクター・フォックスは僕のことを愛してくれている。なのにどうして、このドクター・タチバナはそんなことが言えるのだろう。
ショックに震えている僕を見て、ドクター・タチバナは憐れむように訊ねた。
「きみの名前は?」
「……ツカサ」
ようやく小さな声で答えると、ドクター・タチバナの切れ長の瞳に、奇妙な憐憫の色が浮かんだ。
「――司(つかさ)というのはわたしの名前だ。きみのじゃない」
静かに、しかしきっぱりと言い放ったことばを、僕は遠くに聞いていた。
同じ顔……、同じ名前……。
「まだわからないのか。きみはまがい物なんだ(ユーアーノットリアル)」
まがい物? 僕がにせもの……?
頭の中でドクター・タチバナのことばがぐるぐると回った。
「きみは、わたしの複製(クローン)だ」
ガラス張りの天井からは晩秋の午後の陽射しが降り注いでいて、全裸の僕のあられもない姿を隠しようもなく白日の下にさらしていた。でもシーツの海で揉まれながら、そんなことを気にしている余裕はとてもなくて。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
僕はベッドの上でドクター・フォックスにしっかりと組み敷かれていて、ずっと喘ぎっぱなしだった。僕の両足は大きく割り拡げられて、ドクターの熱く脈打つ楔で最奥まで貫かれていた。
膝裏を抱えて激しく突き上げられるたび、僕は悲鳴みたいな声を上げてしまう。ドクターの熱い切っ先が、僕の中を抉るようにして蹂躙する。気が狂いそうになるくらい感じるところを擦られて、僕は身体を突っ張らせてもがいている。
「…はっ、あぁ…ッ!」
背中をのけ反らし、僕のつま先は虚しく空を掻いて、快楽の波間へと飲み込まれて行く。
「これをわたしに――?」
誕生日の当日のけさ、僕がギフトラッピングされた小箱を差し出すと、ドクター・フォックスは眼を丸くした。
さっそく箱を開けて、中から出てきた万年筆を見たドクターは「素敵だ」と呟き、僕を抱きしめてくれた。
「ありがとうツカサ、本当にうれしいよ」
ドクターは本当に感動してくれているようだった。昨日はこっそりとダウンタウンまで行った甲斐があったと、そのときようやく僕は思った。
「ドクターが今日はちょうどお休みで、僕もうれしいです」
「ああ、今日はふたりきりでゆっくりしよう」
「はぅっ、…っ、うっ…」
強制的に追い上げられるように、僕は今日何回目かの熱を吐き出す。
『ふたりきりでゆっくり』だなんて、実のところ朝から僕たちがしていることはセックスだけだった。それは僕がドクターにねだったからだったけれど。
僕が貪欲に求めれば求めるほど、ドクターは力強く抱きしめてくれ、彼の精を僕の中に注ぎ込んでくれる。ドクターの言うところ、僕は『清廉』なのだそうだ。その僕が、ドクターの腕の中で乱れ喘いで、泣き声を上げる様子が、酷く彼の性欲を刺激するらしい。
でも僕の身体をそんな風にしたのは、他でもないドクター・フォックスだ。その点『愛玩具』とドクター・タチバナが表現したのは、あながち間違ってはいないかもしれない。だけどドクター・タチバナはわかっていない。僕にも心があって、ドクター・フォックスを愛することができるってことを。例えドクター・フォックスが『ツカサ』という肉体だけを愛しているとしてもだ。
「あっ、あ…っ、ドクター、…愛して…ます…!」
「む、ふっ、う…!」
ドクター・フォックスが呻いて、僕の身体の奥の方で、中から濡らされる感触があった。無意識に僕のそこの粘膜はドクターを締めつけて、ドクターの精を搾り取ろうとするかのようにうごめいた。
「ツカサ…、わたしも愛しているよ」
吐息混じりにささやかれ、唇を塞がれる。僕は夢中でドクターの舌を吸って、まだ繋がったままの腰をドクターに擦り寄せた。もっと、と腰が揺れてしまう。
もっとドクターの印をこの身体に刻んで欲しかった。痛くてもいい、永久に忘れられない証を刻み込んで欲しかった。僕が、『ツカサ』がドクター・フォックスに愛されたという確かな証拠を――。
***
「そんなの何かの間違いです!」
ドクター・タチバナに『きみは、わたしの複製(クローン)だ』と、信じられないことを言われて、僕は即座に反論した。
きっとこのひとは酷い勘違いをしているのだ。でなければ、きっと頭がおかしい。
「僕は半年前に、大学近くのカフェテリアでドクター・フォックスと知り合ったんです。僕はそこでウェイターをしてました」
必死に訴えた僕をドクター・タチバナは冷ややかな瞳で見つめた。ブルーグレイではない、僕と同じ褐色の瞳で。
「それは模造記憶といって、作られた記憶だ」
そう言って、彼は質問した。
「じゃあ、そのカフェテリアであの男と出会う前は、きみはどこで何をしていたんだ? 親や兄弟は? 住んでいた家は?」
「………」
僕は呆然として口をつぐんだ。質問されたことについて、僕は何ひとつ思い出せなかったからだ。いや、思い出せないのではなく、わからないのだった。
僕は悪夢の中を彷徨うように、ここまでの道のりを思い出そうとしていた。『グラスハウス』を出て、フェリーに乗って、半年振りのネオ・ホンコン市に来て……。街は僕が記憶していたのと違っていて、初めて来たみたいに新鮮で――。
初めて来た、みたいに……?
ああ、僕がドクター・フォックスと出会ったカフェテリアはどこにあっただろう……?
大学の近くの一体どこに?
「あの男はね、このわたしに懸想していたんだよ」
静かに、しかしことばには軽蔑を滲ませてドクター・タチバナが言った。
「わかるか? このわたしに色目を使っていたんだ。もちろんわたしは相手にしなかったが。それがまさかこんなことに――」
ドクター・タチバナは悔しげに唇を噛みしめた。
「あの…、僕帰ります」
僕がここに来てはいけなかったのだ。大変な間違いを犯してしまったのだということだけはわかった。
しかし、ソファから立ち上がった僕を、すごい勢いで飛びかかってきたドクター・タチバナがソファに押し倒した。
「…ッ…!」
愕然とした僕を見下ろして、ドクター・タチバナが肩で息をしながら言った。
「人間のクローニングは世界条約で禁止されている重大犯罪だ。ドクター・フォックスがそれを知らないはずがない。恐らくきみはどこか第三国で生産されたのだろうが、きみ自身が、あの男の犯罪を証明する動かぬ証拠だ」
「は、放してください…!」
パニックを起こしかけた僕が言うと、さらにドクター・タチバナの指が僕の肩に食い込んだ。
「ドクター・フォックスは罰を受けるべきだ。こんな……、おまえのような『抱き人形』を作るなんて……」
「放せッ!」
渾身の力を込めて、僕はドクター・タチバナを突き飛ばした。
背中からキャビネットに派手にぶつかって、ドクター・タチバナは苦痛に顔を歪めた。
その隙に彼の前をすり抜けようとした僕を、
ドクター・タチバナがタックルして引き戻した。
「逃がさないぞっ」
「ッ!」
もしドクター・タチバナの言ったことが事実ならば、背格好も同じ僕と彼の体力は互角のはずだった。むしろ今のドクター・タチバナより肉体が若い僕の方が有利だったかもしれない。
僕とドクター・タチバナは激しく揉み合いながら、部屋中を転げ回った。キャビネットからは書類が散乱し、床にはデスクからトレーごとなぎ払われた筆記具がばらまかれた。
「あうっ!」
後頭部を思いっきり床に打ちつけられて、僕は悲鳴を上げた。仰向けに引き倒された僕に、ドクター・タチバナが馬乗りになった。
「うぅ……っ!」
呼吸ができなくなって僕は呻いた。ドクター・タチバナの両手が僕の首に掛かって締め上げていたからだ。
殺される……! ドクター、助けて……。
心の中でドクター・フォックスに助けを求めながら、意識が遠のきそうになったとき「汚らわしい」と呟いた、ドクター・タチバナの声が聞こえた。
それは僕の存在も、ドクター・フォックスが確かに僕を愛してくれている事実も、すべて否定することばだった。
僕はどうしても許せなかったのだ。僕だけでなく、ドクター・フォックスの愛情まで否定されることは。それだけは、どうしても。
そのとき窒息しかけていた僕の右手が、必死に床を探って何かを掴んだ。何かわからないまま、僕は怒りにまかせてドクター・タチバナの顔に振りかざした。
「ぎゃっ!」
と、短く恐ろしい悲鳴があがって、ずぶりと柔らかな部分に何かがめり込んだ感触が残った。
僕が眼を開いて見ると、ドクター・タチバナの左目に何かが深々と突き刺さっていた。僕が思わず振りかざした物は、キャップの外れた万年筆だった。それは僕がドクター・フォックスのプレゼントに選んだのと非常によく似ていた。
クローンだと好みまで同じなのだろうか? 僕はぼんやりとそんなことを考えた。
眼をこれ以上ないくらい見開いたまま――もちろん片目でだ――、ドクター・タチバナはその場に昏倒した。びくびくと全身を痙攣させていたが、すぐに動かなくなった。
***
「ああ、ドクター…」
離れかけた唇を無意識に追って僕が呟くと、
ドクター・フォックスがくすりと笑って「こっちへおいで」と言った。
僕たちはまだ繋がったままだった。ドクターはまだ充分硬い状態で、僕を向かい合わせに足を開かせて膝の上に乗せようとした。そのはずみに僕の中でぐりんとドクターの楔が動いて、僕の弱いところを擦った。
「あぁっ!」
と、声が出てしまう。僕の物もびくんと兆して、頭をもたげてふるふると震えだず。
ぐっと腰を入れて、ドクターは刀身を僕に下から深く突き入れた。
「あうっ、ああぁ…」
ふいに接合が深まって、ずくりとした快感の衝撃が背筋を這い上った。
ドクターは僕の尻たぶをわし掴むと、太い物で奥まで貫かれてぎりぎりまで張り詰めている僕の窄まりを、捏ねくり回すように腰を使い始めた。
「やっ、ああッ、いやぁっ、あぁ、んッ!」
強すぎる刺激に僕がたまらず悲鳴を上げると、ドクターはさらに興奮するのか激しく抜き差しを始めた。僕は貫かれている部分を中心にドクター・フォックスの膝の上で大きくバウンドを繰り返して、振り落とされないように必死にドクターの肩にすがりついた。僕の爪がドクターの背中に食い込んで、血が流れ出していたけど止められなかった。
僕は泣き叫びながら、悶え、背中をのけ反らせ、ドクター・フォックスの腹に白い飛沫を飛び散らせる。
一分でも一秒でも長く、僕はドクター・フォックスに抱かれていたいのだ。そのブルーグレイの瞳が見つめているのが、『ツカサ』ではなく『司』でも。
あのひとの、『司』の身体はいつ発見されるのだろうか? わからないけれど、僕たちに残された時間はもう長くはないだろう。
ドクター・タチバナの研究室のドアには、ちゃんとバイオメトリックのセキュリティーコントロールが備えられていた。やはりドクター・タチバナの言ったことは本当なのだろうと僕は思った。あのドアは僕のことを『ドクター・タチバナ』と認識したのだから。
僕はドクター・タチバナしか施錠できないドアに鍵をかけて、あの部屋をあとにしたのだった。あのドアを開けられるのは、僕以外にはマスターキーしかない。
「愛しています」
僕は絶頂の中、遠のく意識の下でささやいた。
僕は、『グラスハウス』から見えるブルーグレイの海の色が好きだ。僕はその理由も知っている。
あの色が、ドクター・フォックスの瞳の色と同じだからだ。
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