「なんでこの寒風の中、俺がおまえとお茶をしなくちゃいけないんだ?」
庵原満澄(いはらますみ)は、目の前の席で悠々と二本目の煙草をくわえてこちらを見返した男を睨んで言った。
「それは喫煙席が外にしかなかったからだ」
的外れに答えて、男っぽい端正な容貌が冴えた瞳を眇めて笑う。思いがけない笑顔になぜかドキリとして、満澄は視線を通りへと逃がした。
二月も中旬ともなると、カフェの店先を吹き抜ける風は相変わらず冷たいが、陽射しはずっと明るくなって春に近づいている気配がある。こうして通りを眺めてみれば、人の流れの色彩が冬より淡く明るくなって、足取りも軽やかなように感じられた。
「で、用件は何なんだ? こんな真っ昼間に街中に呼び出して、ヤバイ話じゃないだろうな」
満澄は目前の男に視線を戻して訊ねた。
冴島敬(さえじまたかし)、というのがこの男の名前だった。本名かどうかは怪しいものだと、満澄は思っている。自称二十五歳だから、それが本当なら自分より四歳も年下だ。
冴島は思わせぶりに長い足を組み直してから、じっと満澄を見つめた。その余裕の態度に、我知らず腰が引けそうになるのを満澄は堪え、冴島の顔を見返す。
「――本当に来るとは思わなかった」
と、煙りを吐き出して冴島が言った。
自分から呼び出しておいて呆れた言い種だったが、冴島のことばにも一理あった。
満澄は、大学の先輩が経営している『有限会社マミヤサービス・コンサルティング』に籍を置いている。事業内容は人材派遣とアウトソーシングだが、それはあくまでも表向きの事業内容であって、会社にはもうひとつ、依頼があればなんでも請け負うという裏の顔があった。
むろん力も度胸もない素人にそんな真似ができるはずはなく、会社も満澄も『組織』に繋がる裏社会に身を置いて久しいのだった。
しかし、その事実を知る人間はそれほど多くはない。『マミヤサービス・コンサルティング』に登録している派遣社員たちはまずこの事実を知らないし、知る必要もないと満澄は思う。ときに彼らは会社の指示のまま仕事をして、それが『組織』の『実行係』としての役割を果すものだとは知らずに仕事を終えるのだった。
だから満澄の会社や、満澄本人がそういうことに関わっていることを知っている人間がいるとしたら、その人間は間違いなく同業者ということだった。
そして目の前の冴島は、その事実をよく知っている人間だった。
「借りはぜんぶ返したはずだが」
満澄は相手の反応を探るように言った。満澄にはまったく不本意ながら、これまで冴島には裏の仕事で何度も煮え湯を飲まされてきた。いつも満澄の前に立ちはだかっては獲物をかっ攫(さら)っていくのだ。
しかし最近、満澄はある仕事で『組織』のライバルグループの男に拉致されて殺されかけ、そのとき助けてくれたのがなぜかこの冴島だった。その後もいろいろと説明しにくい経緯があって、満澄は冴島のこととなると無視できない懸案になる傾向にある。
「……そうだったかな」
と、冴島は不敵に微笑んだ。
「やっぱり真っ昼間に、ライバルの同業者どうしが顔を突き合わせているのは不穏だよな」
そう言って煙草を消すと、冴島は満澄を促して席を立った。
満澄が連れて来られたマンションは、以前冴島に助けられたとき、一週間ほど一緒に過ごした部屋だった。
「不用心だな。まだ使ってたのか、この部屋」
満澄が呆れたように言うと、
「おれのプライベートルームだ。あんたの他は誰も知らない」
あっさりとした答えが返ってきた。
そんなことばに意味もなくどぎまぎしていると、満澄はふいに冴島に抱き寄せられた。
「なにをする……!」
慌てて抗おうとするが自分より体格のいい冴島にすっぽりと抱き締められて動けなくなる。
「あんた、隙だらけだ」
耳朶に吐息の混じった低い声を吹き込まれて、満澄は全身の力が抜けた。同時に、そんな為体(ていたらく)なのかと我ながら愕然とする。
顎を掴まれ唇を冴島のそれに塞がれた。歯列を割って侵入する舌に、意識ごと搦め取られていく。抵抗するのを、忘れている。
「ん、…ッ、ぁ……」
息の間から甘く洩れてしまうのが、自分の声だとは信じられない。信じられないといえば、男どうしでこんなふうに身体を重ねていること自体もだった。
つい最近まで、自分自身に起こるとは想像したこともないことだった。きっかけは事故のようなものだったが、未知の愉悦を満澄の身体に教えたのは他でもない冴島だった。
「あっ…、あっ、あっ!」
刻まれる力強い律動に、堪え切れない喘ぎが零れてしまう。
――本当に俺はどうかしている……。
ようやく呼吸が落ち着いて、満澄は自分を翻弄した年下の男に声を掛けた。
「……おまえ、どういうつもりだ?」
冴えた瞳が不思議そうに満澄の顔を覗き込んだ。
「どうして俺にこんなことをする」
「愛してるって言わなかったか?」
含み笑いをしながら冴島が応じた。
「………」
ふざけた返答は無視するのが一番だった。
顔を背けた満澄をなだめるように、冴島が口づけてきた。
「そのうち身内にでも刺されるぞ」
唇を離して警告してやった。
同業者で、それぞれが敵対することもあるグループに属していて、しかも男どうしで。問題は山積みだ。
すると、ふと真顔になって冴島が言った。
「あんたにだったら、刺されてやってもいい」
「…っ!」
瞬間ぎょっとして、満澄は冴島の顔を見返してしまった。
「――いまは俺が挿してるけどな」
ニヤリと冴島が笑った。
薄く汗を滲ませた端正な容貌で、とんでもなく下品なことをさらりと言われて、羞恥からめまいがしそうだ。
と、繋げたままゆるゆると腰を蠢かしていた冴島のものが、満澄の中で硬度をました。
「……おいっ」
満澄が少し上擦った声を上げるが、冴島は聞こえなかった振りをして、満澄を逃がさないようにしっかり組み敷き直した。
「もういい加減に――、ッ!」
と、言いかけたとき冴島が大きく腰を動かし、満澄はくっと歯を食いしばった。冴島はそうして満澄の奥まで突き入れておいて、おもむろに引き出した。無意識に締めつけてしまって、引き出されるとき冴島に粘膜を絡みつかせてしまう。
「う、ぁ……ッ!」
冴島の大きい部分がその箇所を抉って、満澄は大きく喘いでしまった。冴島が気を良くしたようにさらにそこを擦り上げる。
「あっ、あぁ……」
苦痛めいた強烈な快感に屈服しかけて、ぶるぶると小刻みに痙攣しながら満澄は眼をうるませた。
「――イイって言えよ……」
欲情して掠れた声が唆した。
「ッ、……だれっ…が…ッ!」
陥落寸前でかたくなな抵抗を見せる満澄に、冴島は罰するかのように深く突き入れた。
「や……ッ!、ぁ…、あ、…ッ!」
思わず零れ落ちる声が、儚い抵抗であることを冴島に知らせてしまう。なによりも、膝を深く抱え込まれて身体を密着させた状態で穿たれ、満澄のものは冴島の引き締まった腹で擦られて頭をもたげていた。
プライドとか、しがらみや、ふたりの立場の違いさえも、もしも全部捨てることができるのなら、きっと満澄はすべてを冴島に委ねて、快感のまっただ中にに身体を投げ出してしまえるのだ。
「う、あぁ―――ッ!」
欲望が臨界で白く爆発して、満澄は冴島を道連れにして、すみやかな収束の闇へと沈んでいった。
――……もしも、全部捨てられるものならば――。
「いい加減、本題に移って欲しいものだな」
満澄は嗄れた声で言った。
ベッドの中は酷い有り様になっていて、満澄はすぐにでもシャワーを浴びて家に帰りたい気分だった。そうしないのは、たぶんまだ足腰が立たなくてまともに歩けないだろうと自分でもわかっていることと、その原因を作った男が自分を腕の中にしっかりと抱えて離さないでいるためだった。
「なんのことだ?」
間近にある精悍な顔の、冴えた瞳が瞬いた。
「用があるから呼び出したんだろうが!」
少し苛々して満澄が言うと、冴島が「ああ…」と目を泳がせた。
――なんだ?
らしくない態度に満澄がいぶかしんでいると冴島が視線を逸らしたまま言った。
「……あんたが、そういうのに気づくとは思えなかったから」
「そういうの――?」
「……だから、世間で言うイベントとかには疎そうだったから」
――何を言おうとしているのか、意味がわからない。
「……それなら、いっそチョコレートより本人をいただこうと――」
「!」
――きょうは何日だッ!?
思わず跳ね起きようとして、満澄は眉を思いっきりしかめた。情事の名残りが酷くうずいたからだ。
――くっそ―――ッ!
満澄は心の中で絶叫した。続きは声を出して叫んでしまう。
「どうしてっ、俺がっ、バレンタインデーなんだ―――ッ!!」
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