フラッシュバック
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「えっ? 満澄さんが、どうして……?」
びっくりして目を見開いた美里が訊ねた。 美里は最近、コンピューターに詳しい満澄からいろいろ伝授されているようだった。もともとは美里がある事件の関係で、別の大学の学生になりすます際に、間宮が満澄にハッキングを頼んで大学の学籍データを書き換えさせたのがきっかけだった。
むろん満澄は美里が間宮の『恋人』だとは知らないだろうし、男どうしでどうこうなんて想像したこともないだろう。だから、間宮も安心して美里のお守を満澄に任せておけるのだった。
「おまえが満澄と最後に会ったのはいつだ
?」
「うーん、今月のアタマかな」
「その後は?」
「携帯でしゃべった。あ、履歴に残ってるかも……」
ごそごそとバックを探って携帯を取り出すと、美里は着信履歴を確認する。
「――あった。十一月二十三日、十六時二十八分」
「一週間前か。そのとき何か変わったことはなかったか?」
「……って言われても、満澄さんとは仕事の話なんてしないし」
心配そうに美里が間宮の顔を見返した。
「そうだな」と、間宮は呟いて眉根を寄せた。
満澄は、ある会社の裏帳簿の件を調べているはずだった。もしこのまま本当に行方不明ということであれば、コントローラの藤森に指示を仰ぐ必要があるだろう。間宮は一瞬、目前の美里の存在を忘れて思索にふけった。
「『組織』は必ずしも一枚岩ではないんだ」
ソファに座り直して敬(たかし)が言った。
「内部に対立関係があるというのか」
「さすがに同じセクション内でそれはないけど、他のセクションとはまれに利害が食い違うときがあったりする」
敬が肩を竦めて続けた。
「『組織』が大きくなればなる程、調整が難しくなるのは当然なんだ。なにしろ『組織』メンバーを結び付けているのは『権力』だからね。誰でも取りあえず、まっ先に自分の利益だけは守りたがる」
「――じゃあ、今回のは内輪もめだと言うのか?」
「カイトはディスクの争奪戦に巻き込まれたようなんだ」
カイトはため息を吐き出した。
そもそもディスクの在り処どころか、中身が何なのかすら思い出せない。
「だいじょうぶだ」
なだめるように敬が言った。
「おれはいつもカイトの味方だから――」
じっと見つめられて、気持がざわざわ波立った。敬の強い意志をもった双眸――やはりカイトには見覚えがあった。
――俺は敬を知っている……。
**
「ディスクはどこだ?」
問い質されてぼんやりと思った。
――ディスク……? 何のことだ?
ライトが眩しくて目を開けていられない。さらに男の声が何かを言っているが、頭の中で変に反響して意味を結ばない。
――俺は何をしているのだろう。
ふいに重力の方向が解らなくなって、次の瞬間頭に衝撃が走ったようだった。椅子から転げ落ちて硬い床に頭を打ちつけたらしいと、頬に当たる冷たいコンクリートの感触でようやく気がついた。
「ディスクハドコダ?」
頭が痛い。耳元でがならないで欲しい。手をついて起き上がりたいのに、手が動かない。
――……どう…なって…いる?
「デ・ィ・ス・ク・ハ・ド・コ・ダ・?」
――…な…に……? ……。
――…痛い。
馴染みのない下腹部の異物感に意識が引き戻された。がくがくと身体を揺すられるたび、局部に引き裂かれるような激痛が走る。
――どうなって…る……?
目を開けたつもりだったが何も見えなかった。なぜか目隠しをされている。
「うっ……!」
思わずこぼれた自分の呻き声が、まるで他人のもののように感じられた。
何も見えないのが不幸中の幸いだった。そうでなければ屈辱のあまり悶死していたかもしれない。
粘着質のおぞましい音を立てながら、自分と同じ男のモノに深々と挿し貫かれて、カイトは尻を犯されているのだった。
組み敷いているらしい男が、笑みを洩らした気配がした。こちらの意識が戻ったことに気づいたのだろう。膝裏を抱え上げられ、無言のまま遠慮会釈なく腰を打ちつけられる。
逃れようと身を捩ったが、腰を高く持ち上げられた状況で貫かれていて、ずり上がることすらかなわなかった。どこかに縛りつけられているのか、頭上にある両手の自由が利かない。
「う…あッ……!」
痛みを少しでも逃がそうとして息を吐いたら喘ぎになった。
「やっ……め…ろッ」
ようやくの思いで制止の声を上げたが、嘲るように打ち込まれてのけ反った。
「くッ! ……っう…」
悲鳴を押さえ込むのが、残されたせめてもの矜持だった。
**
「――カイト? カイトっ!」
揺り起こされて目を開いた。スタンドに仄明るく照らされた寝室の天井と、敬の心配げな顔が見える。
「だいじょうぶか? うなされていたぞ」
「……思い出した」
と、胸を喘がせ嗄れた声で答えた。
「何を?」
「――犯された。だれか知らない男に……」
ベッド脇にひざまずいていた敬が、息を飲んだ。
肩で呼吸しながらも奇妙に無表情なカイトを、敬は見やった。怒りのあまり表情を失っているかのようだ。敬は言い含めるように声を低めてささやく。
「忘れろ。……過ぎたことだ」
すると、敬の顔を見上げてカイトが強い口調で訊ねた。
「それでいいのか、おまえは……!?」
一瞬、驚いた様子の表情で、敬が答えた。
「……カイト、あんたはいまちょっと混乱しているんだ。ぐっすり眠れば気分も良くなる」
カイトの身体に毛布を引き上げようとした敬の手をカイトがつかんだ。
「おまえは俺の『恋人』なんだろが?」
「――どうしろと言うんだ」
敬がカイトの目をじっと見て呟いた。
「抱けよ、俺を」
「カイト……」
意外なことを言われたように、敬がカイトを見返す。
「俺とのことを、……思い出した訳じゃないだろ?」
声色をわずかに歪ませて、敬は言った。
「………ッ」
その声にカイトは、ようやく生々しい悪夢から醒めたようだった。自分を組み伏せていた男の感触が、急激に現実味を失っていく。
「……すまん」
憤り昂(たかぶ)っていた気持が冷静さを取り戻し、カイトは呟いた。
「いいんだ。――おやすみ」
そう言って、敬がスタンドの灯りを消した。
よく晴れた午後の陽射しは明るいが、初冬の冷たい風がときおり吹き抜けていく。カイトは敬と一緒に、事故現場だと敬に教えられた交差点近くの歩道に立っていた。
カイトはその日初めて、敬に連れられて徒歩で外出した。近くのスーパーで買い物をするついでに、事故現場を見せてやると言われたのだ。事故現場は意外なほどマンションのすぐ近くだった。
「ここだ」と言われて立ち止まった交差点の少し手前で、確かにガードレールが擦られた痕跡があった。フロントガラスの破片なのか、小さく砕けたガラスの粒が道路上で太陽の光を反射している。
「車は盗難車だった」
敬が言った。
「俺が盗んだのか?」
「さあ、どうかな。車の手配を専門にしている連中もいるしな。いずれにしても、あんたが車に指紋を残すようなヘマをするはずないから、警察も困っているだろうな」
カイトは薄い笑みを浮かべて、「…へしゃげた車の中はからっぽだもんな」などと呟いている。