フラッシュバック
5
カイトは敬の整った横顔を見つめて口を開いた。
「――なぜ俺のいた場所がわかった?」
すると、男らしい眉をひそめて敬がこちら顔を向けた。
「簡単に見つけたような言い方をする。俺が心当たりをどんなに捜しまわったか、あんた知らないから」
傷ついた様子で言われて、カイトは焦った。
「……す、すまなかったな」
ぷっと敬が吹き出した。
「あんた、あやまってばっかだな。なんか、以前より可愛いよ」
「な……っ」
年下の男にぬけぬけと可愛いなどと言われて、カイトは頬に血が上った。
「寒いな。夕飯の食材、なんか見繕ってから帰ろう。何が喰いたい?」
そう言って、敬はまったく自然な動作でカイトの肩を抱き寄せた。自分より少し背の高い敬の身体に包まれ、カイトは鼓動が波打った気がして慌てた。
――意識し過ぎだ。相手は男だぞ……?
心の内で言い聞かせながら、しかしそんな敬の動きに柔順に従う自分は、どうかしたのだろうかとカイトは思う。
――それとも、こっちが本来の俺なのか――。
魚介類をふんだんに、しかも適当に放り込んだ夕食の鍋は存外にうまかった。こんな料理ならば俺にもできるな、とカイトはふと考えながら、男ふたり顔をつき合わせて鍋をつつく状況に戸惑いも感じた。
しかし敬はというと、やっと普通の生活の戻ったかのような落ち着き様で、カイトは自分ばかりが自意識過剰な気がして、意味もなくうろたえてしまう。
「なんだ――?」
食後のお茶を飲んでいる敬を、また我知らず見つめてしまっていたらしい。問われてカイトは「いや…」と、ことばを濁した。まさか見とれていたとは言えない。
冴えた瞳でじっとこちらを見て、ふっと敬は微笑をもらした。
「やっぱ何か変だよ、あんた。……打ちどころが悪かったのかな」
とんでもないことを言われながら、カイトは自分が敬に惹きつけられているのを感じていた。
今日の敬は、ディスクについて一度も話題にすることがなかった。カイトが負担に感じることを心配しているかのようだ。
「ディスクのこと、気にならないのか?」
カイトが言うと、怪訝そうな顔つきで敬が見た。
「――何か思い出したかって、今日は訊かないんだな」
と、カイトは続けた。
――まるで、本当に恋人のことを気遣っているみたいだ。
「何か思い出したのか?」
つきあいのように、おざなりに敬が訊ねた。
「……いや」
「――だろう? 焦らなくていいと言っているのに」
やれやれといった様子で肩をすくめると、敬は白い歯を見せてニヤリとした。
「思い出すまで俺がつきあってやるよ」
――――思い出すまでか……。
「煙草を切らした」
朝、そう言って敬が近くのコンビニへ出掛けていき、カイトはひとりマンションの部屋に残された。
――ヘビースモーカーだった。
敬は煙草を吸わないカイトのために、同じ部屋では吸わないようにしているらしかった。だから敬の部屋に入ると、そこは微かに煙草の匂いがした。
デスクに近づいてノートパソコンの開き、電源を入れた。起動のメロディーと共に見慣れたOSのロゴが出てパソコンが立ち上がる。やがてパスワードを請求する画面になった。
敬のパスワードを、カイトは知らない。知らないから適当に打ってみる。キーボードの上を指が滑らかに移動する。
三度目のトライで、カイトの入力したパスワードが認証された。カイトは自分が苦笑しているのに気がついて、余計に笑ってしまった。
パスワードは、K・A・I・T・Oだった。
コントローラの藤森に連絡を入れて、指示仰ごうとしていた矢先、満澄(ますみ)から間宮の元へようやく連絡があった。『十日も連絡がなければ、行方不明かと思われてもしかたないだろう』と、文句のひとつも言ってやりたかったが、どうやらくだんの裏帳簿はうまく手に入ったらしい。満澄の実行係としての能力を認めない訳にはいかないな、と間宮はひとりごちる。
しかし多少のトラブルに巻き込まれているようで――この仕事にトラブルは大抵もれなくついてくるが――、満澄は裏帳簿と自分をピックアップして欲しいと要請してきていた。
――美里と迎えにいってやるか。
間宮は胸の内で算段すると、美里の携帯番号のメモリを押した。
**
満澄は、インターネットに繋がれたノートパソコンから間宮にフリーメールを送信すると、元通り電源を落としてパソコンを閉じた。
一週間以上も行方をくらましていては、さすがに社長の間宮も気を揉んだだろう、と満澄は思う。ポーカーフェースを装いながら、自分のデスクでいらいらと煙草をふかす姿が目に浮かぶようだ。『組織』絡みの仕事ならともかく、この裏帳簿の件は、ことのついでと言うか、何かに使えることもあるだろう程度の成り行きでのことだった。
満澄は、間宮の会社と『組織』の繋がりについて知っている数少ない人間のひとりだった。間宮とは同じ大学の出身で、満澄より三歳年長の間宮が会社を起こしたときに、一緒に仕事をしないかと誘われて以来のつきあいだ。今回の仕事は、実は満澄本人もこんなに手間取るとは思っていなかった。
――まったくもって、みんな『ヤツ』の所為だ。
いつも満澄の仕事の邪魔をするヤツはライバルと言えば聞こえがいいが、天敵と言った方がより正確だ。今回のような何でもないはずの仕事が、ややこしいことになってしまったのは、横からヤツがちょっかいを出してきたからに他ならなかった。
仕事をしていると、たまに利害関係の対立や獲物の取り合いで、同業者とはち合わせすることがある。そんなときは、話し合いで解決するか、場合によっては実力行使に訴えるかになるのだが、なぜかいつも満澄の前に立ちはだかるのがヤツだった。故意にやっているのではないかと、満澄は最近本気で疑っている。
――いや、わざとなんだろうな……。
それがどうしてなのか、満澄には心当たりがなくて悩んだものだった。
ヤツの男らしく整った風貌で、白い歯を見せて不敵に微笑む仕種には、『組織』の仕事をするたび、もう嫌になる程お目に掛かっている。
――なんで、いちいち俺に絡むんだ?
なぜと自問して、満澄は息を吐いた。
たぶん、俺はもう気づいているのだろうと思う。わかっているが認めたくない。
――認められないだろう? そんなこと。
とにかく、今回の獲物は横取りされない自信があった。裏帳簿と一緒に間宮にピックアップさえされれば、きっと俺はだいじょうぶだ、と満澄は自分に言い聞かせた。
**
冬の午後の陽射しに照らされたリビングは、場違いな程穏やかだとカイトは思った。
「なあ、敬……」
声を掛けると向かい側のソファで、男らしい容貌の冴えた瞳が見返した。それだけでなぜか胸がざわめく気がして、カイトは一瞬言葉につまった。
「なんだ?」
「その……、どうしてディスクが欲しいんだ
?」
敬は質問の意味がわからない、という顔をした。
「何が入っているのかわからないディスクだろう?」
なんだそんなことかと、合点のいった様子で敬が応じた。
「あんたが持っていたものだ。価値がないわけがないだろう。きっと金になる」
そう言って敬はニヤリとした。
――質問の仕方が的確でなかったようだ。
カイトは言い方を変えて訊ねた。
「おまえが欲しいのは本当にディスクなのか?」