フラッシュバック

6


「――どういう意味だ」
  正面から敬がじっと見つめ返した。
「本当に欲しいものは何だ?」
  敬が目を眇めてゆっくりとソファから立ち上がった。
  思わず逃げ出したい衝動にかられながらも、カイトはその場から動くことはなかった。ソファに腰を降ろしたまま、間近に立った敬を見上げる。
「………」
  そうして、無言のまましばらくお互いの顔を見た。
  きっとふたりとも、互いに見落としていることがないか確認するかのような目つきだったに違いない。少なくとも敬はそんな眼でカイトの表情をうかがった。
「――何か思い出したのか?」
  低い声で敬が訊ねた。
「思い出したかもしれない」
「なにを……?」
  ささやき声で問いながら、敬はカイトの隣に座った。
「何を思い出した?」
  敬の冷たい右手がカイトの顎を捕らえて、親指が唇を押さえ歯列を割った。ぞくり、と背筋を得体のしれない波動が通り抜ける。
  カイトはされるがまま敬の指を舐め、しばらく味わってから唇を離して言った。
「俺を助けてくれたのか」
「助けに行ったのを見ただろう?」
  ――たしかに、火事の地下倉庫から助け出してくれた。
「それは、――……おまえが勝手にやったことだろう。『おまえの組織』はそれでよかったのか?」
「……何が言いたい」
「――さあ? やっぱり……打ちどころが悪かったのかな」
  半信半疑のような、つかみ所のない表情で敬がじっと見返した。しかし、その冴えた瞳の中にちらちらと見え隠れするのは、どこか獰猛で押さえ込み難い情動の光だった。
  それを百も承知の上で、カイトは言葉を継いだ。
「――確かめてみろよ」

 

 最初に敬が言ったように、打ちどころが悪かったのだと『カイト』は思うことにした。だから正気に戻れば、こんなことは二度とない。起こるはずのないことなのだ。
  冴島敬は今回どういう訳か、自分と敵対することの多い『組織』の男の命を助けた。放っておけば地下倉庫で焼死体になるはずだった男をだ。
  ――助けた理由? そんなこと俺が知るものか。

 押し当てられていた唇が、吐息を洩らしつつ離れて訊ねた。
「いいのか、本当に……?」
  ――いいもなにも……男どうしなんだからわかるだろうが。この状況が!?
  信じられないことだが、自分は男相手に欲情しているようだった。少なくともズボンの前立てが熱くなっている理由を、他に見つけることはできなかった。
  こんなに身体を密着させているのだから、当然敬にもわかっているはずだった。
「そんなこと訊くなっ」
  怒ったようにカイトは言って、自分から敬の唇を奪いに行った。

 たどる敬の唇が、その舌が、脳髄を掻き回すような快感にカイトは溺れそうになる。
  やっぱりどうかしていると思う。俺はどうかなってしまったに違いない。
  寝室のベッドに押し倒されて――もちろんここまで自分の足で歩いてきたのだ――、カイトは敬に組み敷かれていた。自分より少し体格が良くて、逞しい年下の男の身体の重みを、一体どんな心づもりで受け止めればいいのか。そんなことを頭の片隅で考えている自分に、カイトは訳もなく笑い出しそうになる。
  それでも笑い出さないのは、口を開けば喘ぎが洩れてしまうことを怖れているからに他ならなかった。
  不安がない訳ではない。しかし今さらだと思う。もう、一度この身体はいいようにされているのだ。
  ――あれは誰だったのだろう。

「うッ!」
  突然走った痛みと、同時に起きた快感にカイトは思わずうめき声を上げた。
  敬がカイトの前を握って、先端のくぼみに爪を立てたのだった。
「――なに考えている?」
  そうしておいて、敬が優しそうな声色で訊ねた。
  不覚にも目尻に涙をにじませて、カイトは敬の顔を睨んだ。男らしい端正な容貌が、唇の端に笑みを浮かべて見下ろしている。
  無意識に快感にさらわれないように抵抗していたカイトを、根こそぎ屈服させようとしているかのようだ。
「俺だけを見てろよ」
  白い歯を見せて不敵に微笑み、敬は命令した。
「俺だけ感じろ」
  臆面もなくそう言われて、耳が熱くなるのは既に自覚があるからだろうか。屈辱感や羞恥心が快楽の波にさらわれて、いっそ何も残らなければいいと思う。
「あっ…」
  噛みつくように首筋に口づけられて、声が出てしまった。歯を立てられたところからじわりと疼く何かが、ゆっくりと全身を巡っていくような錯覚に捕われる。
  ――くそっ!
  内心でひそかに毒づいて、カイトは両腕を敬の背中にまわした。

「……ッ」
  濡れた指が局部に埋め込まれる感触に、思わず身を震わせた。なぜ敬の指が濡れているのかなんて考えたくない。
「あ、待て――」
  と、上擦った声を上げたカイトの顔を、敬が覗き込んだ。
「どうした? 痛くないだろう?」
  ――そうじゃない。
  あの夜バスルームで、とろりと流れ出た体液の感触を思い出したのだった。
「すぐによくなるから」
  ささやきながら敬の指がさらに奥へと進められ、カイトは身体を引きつらせた。
「……っ、んっ」
  埋められた指をゆるゆると動かされて、反射的に締めつけてしまう。
「そんなにしたら解せない」
  苦笑まじりに耳元に吹き込まれ、顔が熱くなる。内部で卑猥に指先を揺らされて、カイトは唇を噛みしめた。
  無理矢理に身体を開かれてからまだ間がないためか、思ったほどカイトのそこは敬の指を拒んではいなかった。それどころか自分でも許せないような衝撃的な快感がある。
  くっと押されて、弾かれるようにのけ反った。
「やッ……う、あっ」
「ここだ」
  冷静に、しかし満足そうに敬が呟いた。
  脳裏が白くなるような刺激に、乱れまいとカイトは苦心していた。だが続けざまにスパークする快楽に、次の瞬間あっさりとさらわれていく。
「はっ、あぁ…ッ――!」
  それを何度も繰り返されて、息も絶え絶えになっていると、中を探るようにうごめいていた指が慎重に抜かれた。抜け出るときの排泄感に眉をしかめると、なだめるように口づけが落とされる。
「んっ…」
  そっと合わせただけのはずが、次には深い口づけに変わっていて、逃げる間もなく熱い舌に絡めとられていく。間近に見る敬の男っぽい端正な表情が上気していることに、カイトは酷く興奮してしまう。
  だから敬がカイトの両膝を大きく割り開き、腰を進めてきたときにも、それがどんな恥ずかしい体勢になっているかなどとは、もうどうでもいいことだった。
「……ッ…!」
  押しつけられた熱く硬い感触にカイトは息をつまらせた。身体の力を抜こうとしたらふいに穿たれ、ひゅっと喉が鳴って息が抜ける。のけ反ったまま膝を抱え込まれ、確実に埋め込まれてくる圧倒的な存在感に声も出ない。
「――カイト……」
  甘くささやかれて抱きしめられた。
  気がつけばカイトは敬を全部飲みこまされていて、どくどくと波打つ鼓動を共有しているのだった。
「動くぞ」
  と、低く掠れた声で予告されて、心構えもできないうちに繋がった部分からの衝撃に打ちのめされ、目蓋の裏が白熱した。全身に波及する苦痛めいた快感に支配されて、もうなにもわからなくなる。
「……ッ、さ、冴…島……っ!」
  名前を呼ぶと、呼応するかのように敬がさらに突き上げた。
「あッ」と、こぼれてしまった喘ぎを噛み殺そうと唇を引き結ぶが。
「ん、んっ、ん…ッ、……あぁッ!」
  敬に刻み込まれる律動がそれを許さない。激しく突き入れられ、また引き抜かれ、快感の高みに押し上げれては、一気に突き落とされる。
「さ、…えじ……、ま……ッ!」
  激しく穿たれて苦しい息の間から、また名前を呼んだ。
「――――!」
  冴島敬が、名前を呼び返してくれた気がしたが、空耳だったかもしれない。熱く激しい奔流に巻き込まれ流されて、『カイト』の意識はそこで途切れた。




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