不確かな絆
4
「…ん、あ、あっ、んっ」
珍しく早く帰宅した間宮に、夜もそれ程更けていない時間からベッドに引きずりこまれて、美里は口をついて出てしまう声を懸命に押し殺そうとしていた。
「ま、ま…みや、さんっ…、もう、だめ…だっ…、てっ」
間宮のいつになく執拗な愛撫から逃げるように身を捩って、とうとう美里は音を上げた。
間宮は喉の奥で小さく笑い声を立てて訊ねた。
「こんな風になってるのに?」
美里の茎は頭をもたげて、間宮の腹を擦るように切なげに蜜を零している。
「だっ…て、間宮さんがっ…、後ろをするから…っ、あぁっ!」
ぐいと間宮の物に突かれて、のけ反ってしまう。
間宮に膝裏を抱え上げられて、前から深く身体を繋いだ姿勢で、美里は目尻に涙を浮べて胸を喘がせた。嫌じゃないけど、こんなにしつこくされては感じ過ぎてどうかなってしまう。
間宮がこんな風に美里を抱くのは、決まって何か考えごとをしているときだった。美里を腕の中で散々喘がせながら、間宮は冷静な頭で何か別のことを考えているのだ。
――たぶん満澄さんと、満澄さんの天敵のことだ……。
快感に白く焼き切れそうな意識の中で美里は思った。
――間宮さんは、冴島をどうするつもりだろう?
「あ、あっ、あ、あっ、あっ、あっ」
覆い被さって来た間宮が本格的に抜き差しを始めて、突かれるたびに声が出てしまう。
やがて、くっと息をつめた間宮がゴムの薄い膜越しに美里の中で熱を吐き出した。脱力しつつ軽く美里に口づけると、間宮はそっと美里の中から自身を抜いた。
ようやく解放されて、間宮が達するまでに何回もいかされていた美里は「はあっ」と、思わず息をついてしまった。
「……間宮さん」
「ん?」
「また考えごとしてた」
「ああ、…すまん」
と、美里の指摘をあっさりと認めて、全然すまなくなさそうに間宮は言った。
「冴島ってひとのこと、どうするの?」
ちょっと驚いたように間宮は美里の顔を見返した。どうやら美里の読み通りだったようだ。
「どうするかな……。使えそうな男なら、このまま引き取ってやってもいいが」
「おれ、あのひとちょっと怖い」
「ふん? どうして?」
「中野と同じ匂いがする」
うまく言えないが、冴島は以前美里を拉致した男とどこか同類な雰囲気を持っている気がすると、美里は思う。
「ひとのひとりや、ふたりは殺してそうな感じか?」
物騒な物言いにぎょっとして美里は間宮の顔を見た。冗談で言ったのではなさそうな顔つきだった。
「う…ん」
『引き取る』などと口にする間宮は、もちろん冴島が危険な男だとわかって言っているのだ。
「――ひょっとして、捨て石にするつもり?」
美里が訪ねると、間宮は意外そうに美里を見た。
「そんな使い方があったか」
と、気のなさそうな声を出す。
――それぐらいはまっ先に考えていたくせに……。
美里は思った。間宮が意外そうな表情を見せたのは、美里がそれを指摘したからに違いない。
「あのひと、満澄さんの恋人なのかな?」
ずっと気になっていたことを、美里は間宮にぶつけてみた。
「だったら……?」
間宮は美里の様子を興味深そうに観察しながら訊ねた。
「『捨て石』なんて、満澄さんがかわいそう」
間宮は目を眇めて美里を見返した。
「満澄がかわいそうか」
美里が頷くと、間宮は苦しげに微笑して言った。
「やっぱりおまえは、この世界には向いていないな」
間宮はベッドの中で美里を抱き寄せた。
「……たぶん――」と、間宮は続けた。
「満澄は必要とあらば冴島を捨て石にする」
美里は驚いて眼を瞠いた。
「スーパバイザーのおれや、コントローラの藤森さんが命令すればな」
耳元でささやくように言った間宮を、涙目になった美里が見返した。
「そんなこと、満澄さんにさせないで……!」
絞り出すように言った美里の唇に、黙った間宮は慰めるような口づけを落とした。
***
「で、美人の看護師はどこにいるんだ? おれ専属の」
その日の午後、新しいベッドに寝かされた冴島が満澄に訊ねた。
冴島が自力で動けるようになるまで本来なら病院で安静にしておくべきだったのだが、事の発端を考えるといくら『組織』の息の掛かった病院とはいえ、一般患者も多く訪れる病院の病室に冴島を置いておくのは心配だった。そんな満澄のたっての希望で、冴島は間宮が用意してくれたマンションの一室に移動させられたのだった。
「ちゃんとここいる。あいにくと美人の看護師ではないが」
満澄の答えに冴島が眼を瞬かせた。
「あんたが……?」
意外そうに、精悍に整った容貌を向けた冴島に満澄は言い返した。
「言っとくが、おまえに選択権なんかないぞ。『好きにしろ』と言ったのはおまえだからな」
意地悪く後半部分を強調した満澄を見て、冴島は低く笑い声を立てた。その余裕の態度に満澄は太い眉を寄せた。
「なんだ?」
「あんたを襲うかもしれない」
「ばか言え。おまえのような重傷者にやられる訳がないだろう」
「そうかな……」
満澄の言い分を本気で疑っているような口振りで冴島は呟いた。
訳もなくどきりとして、思わず満澄は冴えた瞳を見つめ返した。ベッドに横になっている冴島は先週よりも更に回復している様子で、元々体力があるせいなのか、満澄は医者の診断が間違っていたのではないかと疑う程だ。
冴島のボスにあたる瀬川は、コントローラの藤森に冴島を返してくれと再三要求してきていたが、こちらは言を左右にして応じていないようだった。
間宮がいずれ冴島を取り引き材料として利用としようと考えているのは明白だったが、なぜ今は満澄が望むままにさせてくれているのかわからなかった。
――冴島とおれの関係を知っているからだろうか?
しかし『組織』のスーパバイザーである間宮が、そんな甘い男であるはずがない。『組織』のために利用できるものは利用する。たとえそれが、満澄を傷つけることになるだろうとわかっていてもだ。もとより満澄は間宮の実行係なのだ。スーパバイザーの間宮が命令すれは、拒むことはできない。
そこまで考えて、満澄は自分の胸を内を走った微かな痛みに眉をしかめた。
――おれは本当に冴島を切り捨てることができるのだろうか……?
満澄は自分でもわからなかった。
「………」
ベッド脇で突っ立ったまま黙ってしまった満澄を見上げて、冴島が怪訝そうな顔をしていた。
――まったく厄介な奴だな。
少々八つ当たり気味な感想を結んで気持を切り替えると、満澄は冴島と正面から眼を合わせるのを避けるように運び込んだ荷物を片付けながら説明した。
「ここでの食事は栄養バランスとカロリーが計算されたケータリングサービスだ。ちゃんとおれがスプーンで食わせてやるから安心しろよ。下の世話もおれが全部してやるからな」
全然堪(こた)えず、冴島は不敵に笑った。
「いたれりつくせりだな」
「おれは日中は隣の部屋で仕事をしている。夜はこの部屋で寝る」
「同じベッドでか?」
「…――な訳ないだろ」
いつまでもふざける冴島を満澄はちょっと睨んで言った。
「マンションのセキュリティーは万全だ。往診の医者と、メッセンジャーの美里以外は入れない」
「じゃあ、しばらくはふたりきりか」
どこかうれしそうに冴島が言った。
「……そうだ」
と、渋々満澄は頷いた。
冴島につきっきりになることを間宮が満澄に許可したときは、正直戸惑った。何よりも、冴島のことが気になって事務所にいても仕事が手につかないのは、認めたくないが事実だった。パソコンを運び込まれて『おまえのオフィスだ』と間宮に言われて、満澄は複雑な気分で従ったのだ。間宮にはまるですべてを見透かされているようで。
しかし、そもそも美里が拉致されたときに冴島を利用するがために、自分をけしかけて人身御供にしてしまった張本人の間宮に、ある程度の責任を取らせる意味合いを含んでいるのかもしれないと満澄が考えるのは穿ち過ぎというものだろうか。
間宮が何を企んでいるのが、いつも満澄には予想しきれない部分があった。
――不可解な奴が多すぎる。
冴島にしたってそうだった。あの夜なぜ瀕死の重傷で満澄の部屋を訪れたのか。満澄はその理由をまだ、冴島に訊ねていなかった。
「冴島」
と、ベッドの傍らの椅子を引き寄せて腰を下ろし、満澄は言った。
「どうしておれのマンションに来た?」
唐突な質問に、冴島は男らしい眉を思案げに寄せて満澄を見返した。
「……どうしてって、おれが刺された夜のことか?」
満澄は頷いた。
「別に理由なんてない」
と、素っ気なく冴島は答えた。
「最期にあんたの顔を見たいと思っただけだ」
「最期? おまえ死ぬつもりだったのか」
気色ばんだ満澄に冴島は妙に静かな視線を投げた。
「つもりじゃなくて、そうなるかもと思っただけだ。……なんで怒るんだ」
逆に訊ねられて、満澄はぐっと息を飲み込んだ。腹が立っているのは本当だったが、どうして腹が立つのか理由がわからなかった。それが悔しくて、満澄は努めて冷静な声を出した。
「――怒ってなんかいない」
「ふうん」と、冴島は言った。「じゃあ、キスさせてくれ」
満澄はじろりと冴島の顔を見た。
「『させてくれ』じゃなくて、『してください』の間違いだろう」
おまえはベッドから自力で動けないんだからなと、満澄は続けた。
すると冴島の双眸が濡れたように光った。
「……してくれ」
甘く掠れた声音でささやく。
引き寄せられるように満澄は身を乗り出して冴島に顔を近づけた。
「してください、だ」
答えを待たずに満澄は冴島の唇に自分のを押しつけた。
「…ん、ふっ」
満澄の強引な口づけに、思いがけず冴島はくぐもった息を洩らした。しかしすぐに体勢を立て直して、絡められた舌の主導権を奪い返そうとしてくる。
「…っ、…ぅ…」
お互い息が上がるまで夢中で口中を貪り合って、こんなことをするのは久しぶりだと満澄は気づいた。と、ふいに得体のしれない熱の塊が背筋を這い降りて、身体の中心を刺激した。
「…っ!」
慌てて唇を離すと、満澄を見上げた冴島が、濡れた唇を舌でゆっくり舐めるのが見えた。いつもは見下ろされていたから、ちょっと変な感じだ。
「したい――」
唆すように低い声で冴島が言った。
「…――バカ、……ケガ人がなに寝ぼけてる」
ようやく応じた自分の声はみっともなく掠(かす)れていて、満澄は思わず眉をしかめた。向こうから仕掛けられたとはいえ、久しぶりのキスに夢中になって勃ちかけてるなんて、そんな恥ずかしいこと口が裂けたって言えない。
「生殺しだ……」
と、冴島が恨みっぽく呟いた。
「こんなの拷問だ」
精悍な容貌に、拗ねた子供みたいな表情を浮べて冴島が言った。
つい情にほだされそうになって、急いで満澄は言い放った。
「ああ、そうだとも! あんあん言わせてやるからな、覚悟しろよ」