桜流しの夜 3

 そうだ。確かに僕は鬼頭さんを誘っていた。
 こくんと僕がうなずくと、鬼頭さんは困ったように眉を寄せた。そしておもむろに口を開いた。
「俺に何人も女がいるのは知っているな?」
「うん、知ってる。『四ッ谷』さんとか『青山』さんでしょ」
「たいていは俺についてくる金とか組のバックとか、そんなものを見返りとして期待している。もちろんそれはそれでいい。互いに承知のうえでつきあっているのだからな。だが、おまえにはそれがない」
  鬼頭さんは僕に言い聞かせるように言った。
「見返りがないと抱かれちゃダメなの?」
  確かに今まで僕は、見返りなしに誰かに抱かれたことはなかった。もっと言うと、見返りなしで誰かに抱かれたいと思ったことがなかった。
「俺はヤクザなんだぞ」
  と鬼頭さんは呆れたように言った。
「ひとサマの弱味につけ込んであこぎな金儲けをしているんだ。おまえはまだ十七だろう? もっとまともな身の振り方を考えろ」
  ――それに、と鬼頭さんは続けた。
「俺はロクな死に方はしないだろうからな」
  精悍な顔の男っぽい口元をゆがめて鬼頭さんは笑ったようだった。
「……やめたらいいのに」
  思わず僕はそう言っていた。なんだか鬼頭さんが辛そうに見えたからだった。
  一瞬ぽかんとして鬼頭さんは僕の顔を見た。
「――そんなわけにはいかないさ」
  やがて呟くように鬼頭さんは言った。わずかに眉を寄せたとき、左眉の傷跡が目立った。
「どうして?」
  僕は食い下がった。
「おとなの事情だ」
  さらりとかわすように言って鬼頭さんは、僕にそれ以上の追求を許さなかった。

 鬼頭さんに抱かれたい。
  そう本人に言ったのが一昨日(おととい)のことだ。
  全然相手にされなかった僕は、バツが悪いというか、恥ずかしいというか、とにかくもうなんだか自分からは鬼頭さんの顔をまともに見ることができなくて、それから僕はほぼ二日間、鬼頭さんとはほとんどしゃべらなかった。
  僕のそんな様子をどう思っているのかわからなかったけれど、鬼頭さんはというと、鬼頭さんがマンションにいるあいだ、僕から何か話しかけたりしなくても何も言わずに放っておいてくれた。そんな鬼頭さんの気遣いがなんていうか、僕には心苦しかった。
  幸い殴られた痕の顔の傷も目立たなくなっていた。これならもう街に出たって人目を引いたりしないだろうから、店に戻ることもできるだろう。
  以前のように澤田組のシマの店に戻って、鬼頭さんのいる蜷川組のシマには近づかなければいい。
  僕は明日には鬼頭さんのところを出て行くつもりでいた。

 雨足はますます強くなっているようだった。鬼頭さんが『桜流し』だと言った通り、満開の桜の花びらを容赦なく吹き散らしながら雨は降り続いている。僕は広いリビングのはめ殺しの大きなガラス窓に張りついて、公園の桜並木を見つめていた。
  さっき外で飲んでから帰宅したらしい鬼頭さんは、僕の背後のソファに腰を下ろしてひとりブランデーのグラスを傾けている。
「このマンションは――」
  と、鬼頭さんがひとりごとを呟くように言った。
「――たいして広くはないが、窓からの眺めが気に入っている」
  こんなに広いリビングのあるマンションなのに鬼頭さんはそんなことを言った。
「桜の季節は――また格別だ」
「……鬼頭さん」
  僕は思いきって口を開いた。
「僕、明日ここ出て行くよ」
  ガラス越しにこちらを見た鬼頭さんと目が合った。
「――そうか」
  と鬼頭さんは言った。
「響(きょう)は桜があまり好きではないんだったな」
「本当は、……そうじゃない」
  鬼頭さんがこちらをうかがう気配があった。
「桜は嫌いじゃない。――でも思い出すから、……僕が、初めてウリやった日のこと。夜、雨が降ってて、寒くて、お腹も空いてて――」
  雨に濡れる窓ガラスに吹き飛ばされた桜の花びらが雫とともに何枚も貼りついた。
「今夜みたいに桜が満開で――、僕、初めて男に抱かれた。名前も知らないひとだった」
  軽く目を見開いて、ガラス越しに鬼頭さんがこちらを見ていた。
「後ろに挿れられて、ものすごく痛くて……、でもそのうちに感じ始めてた。ぜんぜん好きでもなんでもない男にお金をもらうためだけに抱かれているのに。――なのに感じるなんて、僕はそれが情けなくて、自分のこと、ちょっと嫌いになった」
「響……」
  と、鬼頭さんが僕の名前を呼んだ。
「それが理由か、おまえが桜が好きでないと言った」
  小さくうなずいて僕は窓ガラスからソファの鬼頭さんの方へ向き直り、言った。
「――初めてのひとが、鬼頭さんだったらよかった」
  ソファでグラスを手にしたままその場にたたずんでいる鬼頭さんが、男らしい眉の下の双瞳を微かに眇めてじっと僕の顔を見つめていた。
「………」
  仄暗く光る瞳の中に、何か感情の揺らめきを僕は見たような気がした。
「――響、おまえは馬鹿だな」
  少し掠れてひずんだ声で鬼頭さんは言った。
「……うん、よく言われる」
「俺はヤクザなんだぞ」
「知ってる」
  即答した僕に、鬼頭さんは小さくため息をついたようだった。
「響……」
  さびを含んだ低い声でささやくように名前を呼ばれて、背筋に震えが走った。
「こっちへ来い」
  と、鬼頭さんは静かに僕に命じた。

 僕はソファに座っている鬼頭さんに近づくと、足下にひざまずいてスラックスのベルトのバックルにに手を掛けた。すると――、
「何をしている」
  不機嫌そうな声が頭上から降ってきた。
  そんな風に訊かれたのは二度めだなと僕は思った。
「そんなこと、おまえがしなくていい」
  鬼頭さんは男っぽい眉をしかめていた。
「…え、でも――」
  てっきり奉仕を要求されたのだと思っていたので、鬼頭さんがどうして欲しいのかが見当がつかなくて、僕は目を瞬かせ鬼頭さんの顔を見上げた。
「響(きょう)……」
  じんわりと身体の芯に伝わるような声で名前を呼ばれる。顎をつかまれて、前屈みになった鬼頭さんの精悍な顔が近づくのを、僕は目を閉じることも忘れて見つめた。
  唇が重なる。
  思ったより柔らかな感触が合わせられると、熱い舌が僕の歯列を割って口中に侵入した。あっと思う間に舌を絡めとられて荒々しく貪られる。
「んんっ…」
  息苦しくてもがく僕を、鬼頭さんはがっしりと押さえ込んで放さなかった。
  角度を替えながら深く口づけられて、舌を吸われ頭がぼうっとしてくる。キスされているだけなのに、身体の奥を開かれるような戦慄にも似た快感が僕の全身をざわざわと這い回った。
  飲下せなかった唾液が糸を引きながら唇が離れたとき、僕はぐったりと鬼頭さんにすがりつくような体勢だった。
  こんなキス初めてだった。
「後悔するなよ」
  鬼頭さんが言った。

「……ひ、…あ…っ」
  首筋を甘噛みされて、喉から掠れた声が洩れた。僕は全裸で鬼頭さんの大きなベッドに横たえられていた。
  ソファでキスされただけで僕は腰がくだけてしまい、鬼頭さんはそんな僕を軽々と横抱きにして寝室へと運んだのだった。
「…あぁ…っ…」
  鎖骨を吸われてチリっとした痛みが走る。そんな刺激が下肢に波及して、僕の中心がぐんと硬くなっていくのがわかる。
  まだ着たままだった服を鬼頭さんは手早く脱ぎ捨てた。
「…ぁ、……」
  よく鍛えられた、逞しい均整の取れた肢体に僕は思わずみとれた。
  ふっと笑って鬼頭さんの身体が覆い被さってきた。
「あぁ……っ!」
  鬼頭さんの唇が僕の小さな乳首に吸いついて、舌で丹念に転がされた。
「ひぁっ、ああぁ――っ」
  カリっと歯を立てられて、僕は身体を跳ね上げた。突き抜けるような衝撃が中心を直撃して、生理的な涙があふれて僕のこめかみを伝う。
「あっ、あ、あぁ…っ」
  鬼頭さんに片方の乳首を舌で愛撫されながら、もう一方を指で押しつぶすようにこねられて、僕は鬼頭さんの腕の中でどうしようもなく身悶えた。
  僕の中心も痛いぐらいに反り返って、先端から涙をこぼしはじめている。
  すっと鬼頭さんの頭が僕の下の方へずり下がって、止める間もなく僕の中心は鬼頭さんの温かい口の中に含まれてしまった。

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