桜流しの夜 6

 すがるように両腕を鬼頭さんの背筋が浮きでた背中に回すと、ずくんと僕の中で鬼頭さんのモノが脈動した。
「んっ、……んんっ」
  深く口づけてから鬼頭さんは律動を刻み始めた。
「……んんっ、…ぁ、あっ、…っ…あぁっ!」
  突き上げられるたびに舌を噛みそうになって、僕は必死になって鬼頭さんに縋りついた。
  鬼頭さんは体位を変えて何度も僕を貫き、僕は泣きながらうわごとのように「好き…」と繰り返した。 

 ふらつく足取りでそっとベッドを抜け出した。中に出された鬼頭さんのものを処理しておかないとあとで困ると思ったからだ。
  起き上がってみると両足の奥には熱く脈打つ異物感が残っていて、激しい情事の名残の熱がまだ身体の芯でくすぶっているようだった。
  鬼頭さんは満足そうに眠っているようだった。ベッドサイドの淡い灯りがシーツの波間にある男っぽい裸の背中に、筋肉の陰影を刻んでいる。
  その背中にヤクザの象徴とも言える刺青(いれずみ)はない。
  初めて抱かれたときに僕はそのことに気づいていたけれど、その理由を鬼頭さんに訊ねたことはなかった。それともヤクザに刺青があるというのは僕の思い込みであって、実際はそれほど一般的なことではないのだろうか。
  僕は、鬼頭さんにどうしてヤクザをやめないのかと訊ねたときに、『おとなの事情だと』と鬼頭さんが言ったことを思い出した。
  榊は鬼頭さんに心酔してヤクザをやっているみたいだったけど、その鬼頭さんはなぜヤクザになったんだろう?
『俺はロクな死に方はしないだろうからな』
  と、精悍な顔の男っぽい口元をゆがめて笑った鬼頭さんは、自ら選んでヤクザになったとは僕には思えないのだ。
  でも、それは僕がどうしてウリセンをやっていたのかというのと同じくらい、答えるのが難しい質問のような気がした。
  トイレのシャワーで鬼頭さんの残滓をかき出して、腫れているそこには軟膏の塗り薬をつけた。鬼頭さんのは大きいから、僕の身体が慣れているとはいってもちょっと無理をすればやっぱり傷ついてしまうのだ。そうしてみると、女のひとの身体はじょうぶにできているんだなあと感心する。

 もうすぐ朝だし、自分の部屋に戻って寝てもよかったのだけれど、鬼頭さんのベッドの温もりの誘惑には勝てなくて、僕は鬼頭さんの寝室へとって返した。
  鬼頭さんはベッドの上で半身を起こして煙草を吸っていた。
「……ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや」
  そう言って鬼頭さんは煙草のけむりを吐き出すと、どこから出してきたのか、ベッドテーブルの上に置かれた小さなクリスタルの灰皿で吸殻をもみ消した。
「飲みすぎたな。飲みすぎると眠りが浅くなる」
  鬼頭さんは布団をめくって僕のスペースを作ってくれた。
「煙草、吸うの知らなかった」
  僕は鬼頭さんのかたわらに身を滑り込ませて言った。鬼頭さんからは嗅ぎなれない煙草の匂いがかすかに漂った。
「たまにしか吸わないからな」
  僕は鬼頭さんのことが好きだと思うけど、鬼頭さんのことは何も知らない。知っているのは僕を抱くときの鬼頭さんの身体の熱さと、普段は冷静そうな面に隠されていて表に表れることのない情熱だった。
  僕は鬼頭さんの逞しい背中に目をやった。
「……刺青、ないんだね」
  怪訝そうに目を眇めて、鬼頭さんはこちらを見た。
「鬼頭さんってヤクザの幹部でしょ? 最初はなんかスゴイのを彫ってるのかと思った」
  構わずに僕が続けると鬼頭さんはわずかに苦笑した。
「彫り物がないから、フロント会社の社長なんてやらされているんだ」
「フロント会社って?」
  鬼頭さんは不動産会社の社長だった。
「組がバックについてるってことだ。最近はいろいろ法律もできて警察の取締りが厳しくなってるからな。見た目ですぐに暴力団だとわからない方がいいときもあるんだ」
  たぶん最近のヤクザはこれみよがしに脅すだけじゃなくて、頭も使うってことなのかなと僕は思った。
「榊が鬼頭さんのこと、学があるって言ってた」
  息だけで鬼頭さんは笑った。
  榊は鬼頭さんのことをすごく尊敬しているみたいで、鬼頭さんのためなら喜んで死ぬんじゃないかと思う。
「近ごろ大学出のヤクザなんて珍しくもないさ。舎弟も本当は持ちたくなかったが、あいつがどうしてもと食い下がるから『二分八の兄弟』の杯をかわした」
「……?」
  ヤクザ社会の決まりごとなんて、僕にはぜんぜんわからない。わからないけど、鬼頭さんの説明によると榊は兄弟の杯だけど、身分的にはほとんど鬼頭さんの子分ということらしかった。
「だが、あいつにオヤジサンなんて呼ばれるのはまっぴらだからな。だから『さん』づけで呼ばせている」
  ああ、だから榊は鬼頭さんのことを「兄貴っ」とかじゃなくて普通に呼んでいたのか。でも、オヤジサンってのも鬼頭さんなら似合うかも……。

 結局そのあと明るくなるまでベッドで鬼頭さんに抱かれた。
  驚いたことに鬼頭さんは、その朝はそのままスポーツウェアに着替えると、迎えにきた榊の車で接待ゴルフに出かけてしまった。
  ……すごくタフだと思う。
  僕はと言えば、叫びすぎで声はかすれているし、足腰なんかがくがくだった。
  冷蔵庫に食料は榊が色々用意していってくれていたけれど、ぐったりの僕は午後遅くなっても食欲もなくて部屋でぐずぐずして過ごした。
  鬼頭さんが僕の身体に満足していてくれるのなら、僕の存在価値はそれなりにあるのだろうと最近思う。僕は鬼頭さんのことが好きだし、もっと何か役に立てそうなこともできるといい。
  榊のようにボディーガードや運転手はできないけれど、掃除とか洗濯とか、ちょっとした身の回りの世話なんかやらせてもらえるといいと思う。今度鬼頭さんに頼んでみようか。
  ソファに寝転がってそんなことをぼんやりと考えていたら、ローテーブルの上で携帯が鳴った。
(響さんですか? 弁護士の只木(ただき)です)
  ディスプレイの見慣れない電話番号をいぶかしみながら出てみると、相手は鬼頭さんの会社を担当している弁護士の先生からだった。鬼頭さんに以前紹介されていっしょに食事をしたことがある。
  只木先生は鬼頭さんよりちょっと若いぐらいで、眼鏡をかけた色白のほっそりとしたひとだ。弁護士というより、どちらかというと学校の先生っぽく見える。
(――社長が暴漢に襲われました)
  続けて聞こえた冷静な声に、僕の意識は一瞬で吹っ飛びそうになった。
「えっ!?」
  いきなり心臓がばくばくと破裂しそうに動き出す。
(社長はご無事ですが、応戦した榊が少し怪我をして警察に身柄を拘束されました。社長も警察で事情を訊かれています)
  真っ白になりかけている頭に只木先生の声が反響した。
  鬼頭さんは無事だ……、でも榊が怪我をしたって……!
(響さん? 聞こえますか?)
  驚きのあまりことばが出てこなかった僕に、只木先生は事務的なしゃべり方から変えて、少し気遣うような声を出した。
「は、はい…。僕、どうすれば?」
  情けないことに、僕が言えたのはそんな間抜けなセリフだった。
(社長から伝言です。今夜は帰れないかもしれないが心配するなということです)
「え、でも…、何がどうなってるんですか? 榊は逮捕されたんですか?」
  榊のことだから、身をていして鬼頭さんを守ろうとしたに違いない。
(はい。社長はゴルフ場のラウンジで刃物を持った男に襲われましたが、榊が刃物を取り上げようとしてもみ合いになったようです)
「相手の男は?」
(榊に腹を刺されて病院に送られました)
「っ!」
  淡々と告げられた事実に絶句してしまう。
  じゃあ、榊は相手を返り討ちにしてしまったのだ。それで警察に逮捕されたのだろう。
(相手の男は重傷ですが、命に別状はないようです。こちらとしては正当防衛を主張しています。心配でしょうが、わたしも全力を尽くしますので、いまは社長の帰りをそこで待って差し上げてください)

 通話の切れた携帯を手にして、僕はしばらくその場にへたりこんでいた。只木先生に言われるまでもなく、僕にはこのマンションで鬼頭さんの帰り待つことのほかにやれることはなかったのだ。
  鬼頭さんを襲ったのは誰なのか、僕には見当もつかなかったけれど、鬼頭さんはヤクザだから、その筋の関係者に襲われたのだろうか。それに、鬼頭さんを守ろうとして警察につかまった榊はどうなるのだろうか。
  どうにもならないことをぐるぐると考えて、夜暗くなっても僕はソファの上で丸くなって鬼頭さんの帰りを待ち続けた。

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