ブルーグレー (1)

 岬の先に建つドクター・フォックスの家は、地上三階地下一階の白いしゃれた建物で、大きな全面ガラスの窓が開放的な居住空間を演出していた。この島に住んでいるひとたちは、だからドクター・フォックスの家のことを『グラスハウス』と呼んでいる。
  僕が『グラスハウス』住人になって、そろそろ半年が経つ。二階のリビングルームは岬の断崖の上にせり出していて、海側が全部ガラス貼りになっているから、この部屋にいると僕はブルーグレイの海の上に浮かんでいるような気がしてくる。
  十月も半ば過ぎると、街路樹のメープルの落葉が色とりどりに、赤やオレンジや黄色に染まって道路脇を埋め尽くす。季節はまっすぐに冬に向かっているのがわかるけれど、高緯度のわりにはこの辺りは暖流が流れているせいで、冬でもめったに雪が降ることはない。降るのはいつも雨だ。冬の間中ずっと降り続く雨。グレイの空とブルーグレイの海が、霞んだ水平線で溶け合って、雨の中で滲んでいく。
  メープルの落葉の色もきれいだけど、僕はブルーグレイの海の色が好きだ。ドクター・フォックスの瞳の色と同じだからかもしれない。
  ドクター・フォックスは僕より十五歳年上で、フェリーで渡って三十分の陸側にあるネオ・ホンコン市の大学で教えている。専門はキラーホエール(シャチ)の生態学だ。僕とドクター・フォックスが知り合ったのは大学の近くのカフェテリアで、僕はそこでウェイターをしていた。
  ドクター・フォックスは背が高くて、髪の色は茶色だ。光が当たると金色に見えるときがある。彼のがっしりとした体格は、僕には望むことのできない血統の遺伝子が造型したものだ。でもドクター・フォックスは、僕のいつも華奢と表現されてしまう身体つきや、黒い髪や褐色の瞳が好きだと言ってくれる。
  僕が、ドクター・フォックスのブルーグレイの双眸が好きなように。
「ツカサ、そこにいたのか」
  ドクター・フォックスの耳触りの良い声で我に返った。ぼんやりと海を見ていて放心していたらしい。
  振り向くと外出着姿のドクター・フォックスがリビングの入口に立っていて、彼はやっと僕を見つけたように、にっこりとした。
「これから大学へ行ってくるよ」
「きょうは講議、ありませんよ?」
  不審げに僕が言うと、ドクター・フォックスは面白そうに笑った。
「だいじょうぶさ。ちょっと用事を思い出したんだ」
  研究者としては優秀なドクター・フォックスだったが、一般人としては少々抜けているところがある。講議のスケジュールを間違えるのはしょっちゅうで、講議がないのに大学へ行ってしまったり、その逆もあったりで、専属秘書の僕としては全く気が抜けないのだ。
「夕方には戻ってくるよ」
  ドクター・フォックスは僕の唇に軽く口づけてそう言うと、大学へ出掛けて行った。

 広い『グラスハウス』にひとり残されるのはちょっと辛い。でも留守番だって僕の重要な仕事のひとつだ。秘書兼、ハウスキーパーとして、僕はドクター・フォックスが快適にこの家で暮らせるように心掛けている。彼が出掛けてしまったので、僕は午後からの時間を家中の掃除をして過ごすことにした。
  三階にあるベッドルームには、僕とドクター・フォックスが一緒に眠る大きなベッドが置いてある。天井がガラス張りになっていて、夜は灯りを消すと星が見える。
  僕がここでドクター・フォックス抱かれていると、ときどき誰かが遥か上空から、僕たちを見つめているのではないかと、変な気になるときがある。僕が堪え切れずに上げる声とか、酷く感じて泣いてしまう様子を、つぶさに観察されているのではないかと。想像しただけで僕は羞恥と、それからもっと何か違う感覚で、身体の芯が熱く疼く感じがしてくる。すると僕は、彼の唇と手の感触や、彼が僕の中に入って来たときの衝撃を生々しく思い出して、本当にひとりではいたたまれない気分になるのだ。
  誰かが見てるなんて、もちろんそんなの僕の妄想に決まっている。なにしろ僕の存在を知っている人間は、たぶんこの島にだって何人もいない。僕はドクター・フォックスの『秘密の恋人』なのだ。ネオ・ホンコン市の市議会で、同性婚を認める法案が可決されたのはずいぶん昔のことだから、ドクター・フォックスが社会的立場を気にして僕の存在を隠している訳ではないと思う。『きみを、わたしだけのものにしておきたいんだ』と、真顔で言われたときは面喰らったが、僕はドクター・フォックスがかなり本気らしいとわかって、それ以上そのことについて追求したいとは思わなかった。
  ドクター・フォックスは僕が彼の職場である大学に行くのも嫌がった。だから僕は秘書といいながらも、彼の大学にある研究室に足を踏み入れたことは一度もないし、ドクター・フォックスが講議をする様子を見たことだってない。それでも大学と『グラスハウス』のパソコンが繋がっているのだから、僕が必ずしも彼の大学の研究室の部屋にいなくたって、秘書としての仕事は充分にこなせるのだ。

 予定外に午後からずっとひとりにされたお陰で、夕方暗くなってドクター・フォックスが戻ってきたときには、僕はすっかり気落ちしていた。だから飼い主を待ちわびた犬みたいに玄関ホールで彼を出迎え、抱き着いてお帰りのキスをしたときに、僕の身体がすっかり興奮していることに気がついた彼は、知的で端正な面に一瞬驚いたような表情を浮べた。
「ツカサ……?」
「――お願いドクター」
  と、僕はかすれた声で言った。毎晩のように抱かれているのに、僕の身体はまるで怪しげな薬でも盛られたみたいに、ばかみたいに興奮していた。自分でも訳がわからないくらいで、早く抱いてもらわないときっとどうかなってしまう。
  僕の切羽詰まった状態がわかったのか、ドクター・フォックスは僕の手を取ると、「おいで」と優しく言った。

 照明を仄かに落としたベッドルームで、僕は急いで着ている物を全部脱ぐと、まだ上着しか脱いでいないドクター・フォックスにキスをねだった。
「――こんなにして……」
  僕の唇に苦笑まじりにの口づけを落としながら、彼は僕の股間で勃ちあがっている物を大きく温かい手で握ってくれた。
「は、ぁう…!」
  握った指で先端をぐりぐりされて、思わず腰が跳ねた。僕はもう漏らしかけていて、ドクター・フォックスの服を汚さないよう慌てて腰を引こうとしたら、ぐっと押さえて握り込まれた。
「ああっ」
「いいから、一度出しなさい」
  ささやいて彼の手は強く僕の物を擦り始めた。
「はっ、…ぁ、はぁッ、……うっ!」
  立ったままドクター・フォックスにすがりついて、限界まで張り詰めていた僕は、あっという間に追い上げられて、欲望の熱を彼の手の中に吐き出してしまった。

 手をティッシュで拭ったドクター・フォックスに抱き上げられてベッドに運ばれても、僕はまだ肩で息をしていた。ベッド脇で自分も服を脱いでいるドクターの気配がする。そんな些細なことが次のさらなる快感を予想させて、解き放たれたばかりの僕の前は、もう兆し始めていた。
  ベッドに入ってきたドクター・フォックスが、僕に覆い被さってきた。深く優しく口づけられて、幸福感で胸がいっぱいになる。口を開けると彼の熱い舌が滑り込んできて、舌を絡めると刺激が下半身にずくりと直結した。
  唇を離すと今度はそっと胸に口づけられた。ドクター・フォックスの唇は僕の胸の小さな飾りを探りあてて、舌先で転がすように舐めてくる。つんとすぐに勃ったそれを指先で撫でると、快感に身悶えて反り返った僕の胸の、あばらが浮いた脇腹にキスを落とした。
  いつも前戯にたっぷり時間をかけて、ドクター・フォックスは僕の身体を蕩かしていく。僕のもの慣れない身体は本当に刺激に弱くて、彼が達する前に、何回もいかされてしまうのだ。
  僕が男性に抱かれたのは、ドクター・フォックスが初めてだった。そして僕が知っている他人の身体はドクター・フォックスひとりだけだ。最初のときは初めてだと知って、彼は全く辛抱強く僕の身体を開いていった。僕がなるべく痛くないように。例え痛くても、それに勝る快感が得られるように。

 ドクター・フォックスの濡れた指が、僕の奥の窄まりに差し入れられて、びくんと僕は身体を震わせた。両足を大きく割り広げられて、僕の普段隠しおくべき箇所は、余すところなく彼の目の前に晒されている。
「……もっと開いて見せて」
  卑猥に唆されても僕はもう拒むことができない。言われるがまま、僕は顔に血を上らせながら自分の膝を抱えて、さらに両足を左右に大きく拡げた。
  手のひらで温められたローションを、拡げた奥にたっぷりと塗り込められて、ぶるりと身体が震えた。僕の股間の物も頭をもたげてふるふると震えている。
  くちゅくちゅと湿った音が聞こえて、僕は恥ずかしいのと同時に興奮して、ぎゅっと目を瞑った。
「かわいいね、ひくひくしてるよ」
  追い討ちをかけるみたいにドクターがささやく。
「ヤっ…」
「嫌じゃないでしょう?」
  微笑を含んだ声で言って、彼の指が二本同時に差し入れられた。いつも柔らかく解されているから、二本挿れられても足りなくて、僕のそこは物欲しげにドクターの指を締めつけてしまう。
「あ…っ!」
  ふいに指を抜かれて僕は泣きそうになった。
「あぁっ、ドクター……、早く…っ」
  僕が泣き声を上げても、ドクター・フォックスはいつも悔しいくらい落ち着き払っているのだ。
「ツカサ」
「ああぁっ」
  熱い楔が僕の中にのめり込んでくる感触に、思わず声が上がってしまった。
  ドクター・フォックスは用心深く腰を進めて、僕のどこも傷つけないよう、彼の大きな物が奥の方まで挿入される。僕の窄まりはぎりぎりまで拡がって、きゅうきゅうとドクターを締めつけながら収縮を繰り返す。
「あっ、あっ……」
  甘い喘ぎ声を上げながら僕は息を吐いて、ようやく彼の大きな物を、全部自分の中に飲み込ませれたのを知った。
「あぁ……、ドクター」
  僕は涙を零しながら言った。
「愛してます」
「わたしも愛してるよ、ツカサ。――きみだけを愛している」
  ささやき返したドクター・フォックスが、ふいに予告なく僕に埋めていた楔を引き抜き、途中で突き戻した。
「ヒッ、あぅッ!」
  はずみでぐりっとポイントを抉られ、僕は悲鳴めいた嬌声を上げてしまう。
  僕の声に触発されたのか、ドクターは力強く抜き差しを始めた。
「ああっ、あっ、あんっ、あぁっ、あっ、あんっ、あぁッ」
  これが自分の声だなんて信じられない。唇からこぼれ落ちる甘い声に、恥ずかしいのか興奮しているのか、自分でも訳がわからなくなってくる。絶頂に何度も押し上げられて、もうこのまま死んでしまっても構わないと思える程、僕はいつだってドクター・フォックスに抱かれて乱れさせられる。
  意識が途切れる寸前に、僕は僕の身体の最奥でようやくドクターが熱い奔流を迸らせるのを感じた。

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