ゼロの距離

 いつもは冷めた表情の岬が機嫌良さそうにしているので、ビールの酔いが回り始めるとなんだか晃も盛り上がってきて、男どうし間近に顔を突き合わせての宴会となった。演劇論から始まって、撮影現場での愚痴やら、事務所のマネージャーを肴にして、大いに盛り上がってしまう。
「――で、おれたちはそこの連ドラの現場、マジで『通行人』だったわけ」
 岬が笑いながら言った。
「現場のADがほんとバカでさ。全然指示が訳わからなくて、『カットがかかるまであっちへ歩いてってください』だもんな」
 岬はビールを一口飲んでから、ミックスナッツからアーモンドをひとつ拾った。
「仕方ないから、言われた通りにもうひとりの奴と一緒に歩いて行ってさ、ちっともカットがかからないし、さすがにもういいだろうって立ちどまって現場の方を振り向いたら――」
 ことばを区切ると、岬は爆笑して言った。
「現場はおれたちの遥か後方で、とっくにOKが出てて、スタッフが撤収し始めてやがるの。『カット!』が聞こえる距離じゃねぇって」
「あるある、そーいうの!」
 事務所のマネージャーに言われてときどき行くことのあるエキストラの現場は、晃たちにしてみればボランティアみたいなものだ。待ち時間と拘束時間がやたらと長くて、わずかなギャラは時給換算すると数百円なんてこともある。
 そのうえスタッフからはほとんど人間扱いされない。指示で動く大道具のようなものだ。
 卒業生の晃や岬は、よっぽどマネージャーに頼まれない限りエキストラの現場には行かないが、養成所に入ったばかりの新人たちは『現場に慣れる』という名目で過酷なエキストラの撮影現場に送られることになる。
 だからこの手の情けないエピソードは枚挙にいとまがない。晃の体験ではないが『通行人』をやっていてロケ現場の街中の路上で待機してたら、野次馬のギャラリーと間違えられてスタッフに追っ払われたとか。さすがにこれは情けなすぎる例だったが。
 撮影現場のエキストラはあくまでもエキストラだ。仮に本人にどんなに実力があろうと、エキストラという役割はそれ以上でも以下でもない。エキストラで行った現場で、監督の目にでも留まってキャストに大抜擢される! ――なんてことはドラマチックなフィクションの世界でのお話であって、現実では絶対に、とまで言い切れないけれどもまず起らない。
 晃がエキストラの現場に行ったときには、目立たず、埋没せずを心がけている。エキストラという役柄は画面上の背景の一部なので、まず目立ってしまってはいけない。しかし意図があってその場所に配置されているのだから、埋没してしまってもいけないのだ。「マジで通行人」なんて岬が言ったみたいに、できれば晃もその手の仕事はやりたくない。しかし、『通行人』だって一般のひとが考えているほど簡単ではないのだ。
 「歩くだけだろ?」と言われるかもしれないが、いったんカメラが回ってしまうと、その前を歩いて通り過ぎるだけのことが、素人にはできなかったりする。歩き方ひとつにしたって、癖のある歩き方とか靴音を立てたりしたら即効NGだ。エキストラがNGを出すなんてことは論外なので、ちょっと注意されて直せなかったりすると「もういいから、はずれて」と、ADに最悪現場からつまみ出されることもありうるのだった。
 
 ふと窓の外に目をやると、四階にある岬の部屋から見える空は夏の夕暮れ色で、晃はすっかり長居をしてしまっていることに気がついた。部屋に目を戻せば、ローテーブルの付近にはテーブル上にも床のフローリングにも、缶ビールの空き缶がいくつも転がり、封を切られたスナック類などおつまみの袋が散らかっていた。
 ――相当飲んだな……。
 晃は酔った頭で他人事のように感心して、岬は大丈夫だろうかと様子をうかがった。
「……え、なに? ビール足りない?」
 あやしいろれつで岬が訊いた。岬もかなり酔っぱらっているようだ。
「ううん、そろそろ失礼しようかと……」
「ええっ!? まだいいだろ? そうだ、夕飯食ってけよ」
 岬が慌てて晃のことを引き止めるので、晃は面食らって言った。
「夕飯?」
 散々飲んだ後だったが、確かに小腹がすいていた。
「ピザ取るからさっ、食ってけよ。な?」
「……それじゃあ」
 晃は岬の勢いに押されて、まあいいかと頷いた。
「食べられないものとかある? シーフードデラックスでもいい?」
 岬はどこからか宅配ピザのメニューを持ち出してきて訊ねた。
「岬が好きなのでいいよ。おれなんでも食べるから」
 晃が答えると「よし」と、岬は楽しげに言って電話をかけ始めた。
 酔っ払っているせいもあると思うけど、今日の岬はよく笑う。こうしてみると、岬はたしかに無愛想なところもあるが、他のみんなが言うほど取っつきにくい奴じゃない。
 ――けっこう気を使ってくれてるみたいだし。
 岬のいつも他人を寄せ付けない一匹狼的な雰囲気のせいか、養成所内では岬が誰かと一緒にいるところを晃は見たことがなかった。だから例外の晃は、周囲からは岬と親しいと思われているようだ。
 そう言えば今頃思い出したが、水無瀬が妙なことを言っていなかっただろうか。岬のことを『ライバル』とかなんとか。酔った頭で水無瀬のことばをぼんやりと思い起こしながら、晃は何か重要なことを見落としていたような気がして、はたと我に返った。
 ――……てことは水無瀬さんは、おれと岬が付き合ってると思った、ってことじゃん!
「ええーっ!」
 思わず場所も忘れて晃は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、なんだよ?」
 キッチンカウンターでピザの注文を終えて、受話器を置いた岬が、驚いた顔をしてその場から振り返った。
「い、いや。ちょっと思い出したことがあって……」
 あらぬ方へ眼を泳がせて、晃はことばを濁した。もし水無瀬の言われたことを岬に話すとなれば、晃が水無瀬と付き合うことになったことまで言及しなくてはならなくなる。
「ひょっとして用事? 帰るの?」
 なぜか焦ったように問い質した岬に、
「ううん、平気平気」
 笑ってごまかして岬の方へ首をひねると、予想外に至近距離から顔を覗き込まれて晃はびっくりした。
 岬のいつもは冴えてクールな印象の双眸が、酔っているからなのか熱っぽく潤んでじっと晃を見つめている。ソファの背後から背もたれに片手をついて、岬は座ったままの晃を見下ろす体勢だった。
 岬の見たこともない反応に戸惑って、晃は岬の精悍な顔を見上げたまま無意識に唾を飲み込んだ。この感覚は記憶に新しかった。これは、水無瀬と向き合っているときに感じるのと同質の感覚――。
 ――…え、岬……?
 きつい眼差しにじっと見つめられて、絡まった視線がいつまでも解けない。
 ――なんかヤバイ……。
 酔った頭で晃は漠然と感じながら、なんとかこの場の雰囲気から逃れようと身を捩った。
 と、ソファにあった岬の手が抱くように晃の肩に回った。岬はしなやかな動きでソファとローテーブルの間に身体を滑り込ませると、膝をついて、今度は正面から同じ目線の高さで晃を見つめる。
 男っぽい眉をわずかに顰め、いつもは冴えた、どちらかというと冷たい視線が熱っぽく光っている。高い鼻梁と少し薄めの形のいい唇。精悍な印象を与えるシャープな頬から顎にかけてのライン。
 こんなにまじまじと、実生活で岬の顔を見たことなどなかった気がする。芝居で顔を突き合わせ、互いの唾がかかるほどにらみ合ったりすることはあったにしても。
 ――でもこれは芝居なんかじゃない。
 ざわざわと得体のしれない波動が、触れられた肩から背筋を通って、尾てい骨へと抜けて行くのを晃は感じた。
「晃……」
 思いつめたような視線を外さないまま、吐息まじりに名を呼ばれた。
 岬が晃に何を訴えようとしているのかわからなかったが、晃は聞いてはいけない気がした。そうでなければ、なぜさっきから頭の片隅で警報ランプがチカチカと点滅しているのだろう。
 ――そうだ、逃げよう! とりあえずここは逃げるべきだ。
 警報ランプが作動してから何秒も遅れて、晃の緊急脱出装置にスイッチが入った。逃げを打つため腰をソファから浮かしかけた晃を、しかし岬は素早く押さえ込んだ。
 ――うう……!
 あっさりと逃げ場を失って、晃は内心で呻いた。『なにしてんだよ?』とか『放せよ!』
とか、言おうと思えば今この状況で使えそうなセリフはあったのだけれども、目の前の岬にぶつけるのは間違っているように思えた。
「…あ、岬……?」
 なんか言って気を逸らせようと、晃が口を開きかけると、ふいに岬の右手が晃の顎を捕らえて、その親指がことばを封じるように晃の唇を押さえた。
「……っ…」
 瞠目して息を飲み、晃はその場から動けなくなった。
 岬の指が晃の唇の輪郭をそっとなぞった。薄い粘膜の表面を滑った硬い指先が、意味ありげに唇を割って晃の歯に触れる。
 酔っぱらっているにしろ、ふざけているにしろ、岬のこれは、明らかに性的はニュアンスを含んだ仕種だった。
 残りの指で顎の下をそろりと撫でられて、びくりと晃は身体を震わせた。鳥肌が立つような感覚は、しかし、嫌悪感ではないことに気づき晃は愕然とする。
 ――な、なんで……!?
 たしかに性的嗜好に対して偏見はあまりない方だ、という自覚はある。同性を恋愛対象にするなんてとんでもない、という気持は晃にはない。本人たちが納得しているのなら、そういう関係もあるのだろうと思う程度だ。そうでなければ、水無瀬に『付き合いませんか?』と言われたときにもっとパニックしていたはずだ。あまつさえ『お試し』で付き合うことをOKしたのだから、今更なのだけれども――。
 ――この状況は笑えないぞっ!
 晃はどちらかというと奥手で、恋愛感覚にたいしての感度が鈍いところがあるかもしれないと自分でも思うが、さすがにこの状況はどういうことなのかわかる。
 ――岬が、おれに欲情しているっ……!?
 じりと体重を委ねてきた岬の、ごく至近距離に近づいた男っぽい容貌から目が離せない。
 岬の眇められた双眸が、捕食者のものになる。
 ――ど、どうしよっ!
 たっぷりとした厚みのあるソファの背に、仰向けにゆっくりと押し倒されながら、晃は必死に考える。
 一体どこからそうなったのか、晃にはわからなかった。岬とは同期だから研修生になったときから、晃も顔だけは知っていた。もしかして天然? などと訊ねられる自分とは、かなり違うタイプだなあ、と感じた記憶がある。晃は単純に岬のことを、クールでカッコいいなと思ったのだ。
 よく話すようになったのは、岬が『舞台実習』のレッスンを取るようになったここ数カ月だ。岬とは結構仲がいいとは思っていた。でも自宅に招かれたのは今日が初めてだった。
 晃は岬からの、何かサインのようなものを見落としていたのかもしれない。情けないことにその可能性は十二分にあった。しかも、もっと問題なのは、押し倒されてなお、自分がなぜか無抵抗のままだということだった。
 目の焦点が合わないくらい岬の顔が近づいて、ついに観念した晃は両目を閉じた。
「んっ…」
 想像していたより柔らかな感触に思わず喉が鳴った。化粧品の匂いなんてしない、乾いた男の唇。岬の、――唇。
 それが晃のに押し当てられて、それから角度を変えて、もっと深く口づけようとしてくる。岬の舌先が晃の歯列をそっと割って、忍び込んだ舌先が、晃の上顎をそろりとなぞる。
「あ、はぁ…」
 息苦しさに胸を喘がせて薄目を開けると、上気した岬のシャープな頬のラインに汗が光っていた。
 長いキスに、ビールのせいだけではない酩酊の波が晃を飲み込み始め、もうどうにでもなれと自棄気味に思ったとき、インターフォンが鳴るのが聞こえた。
 急かすように二、三回続けて鳴らされるインターフォンに、はっとしたように岬は晃の上から身を起こした。「ごめん」と、小さく呟くと、岬は大股でリビングを横切ってキッチン方向へと消えた。壁付けインターフォンを取り上げて何か話している声がする。どうやらピザの配達らしかった。
 ――た、助かった……。
 なんかよくわからないが、取りあえずそんな正直な感想を結んで、晃は背もたれに押し倒されていた体勢からきちんとソファに座り直し、安堵の息を吐いた。
 すぐに玄関のチャイムが鳴らされて、ビニール袋のガサゴソいう音と「ありがとうございましたー!」と、元気のいい若い男の声が響いて、ドアが閉まった音がしたら急に静かになった。
「すぐそこなんだ、ピザ屋」
 ピザの箱と、サイドオーダーらしい袋を下げて、リビングの入口で立ったままの岬が言った。その面からはさっきまでの熱はすっかり霧散して、精悍に整った容貌にはどこか気の抜けた、バツの悪そうな表情が浮かんでいた。まるで悪戯が見つかったときの、小さな子供のような表情だった。
「二十分で来るとは思わなかったな……」
 早く来たのが悪いみたいに晃には聞こえた。
「………」
 黙ったまま晃が岬の様子をうかがっていると、「はあ」と岬はなぜかため息をひとつついて気を取り直すように言った。
「食おうぜ」
 
 
「じゃあ、もう一度さっきのところから――。ハイ!」
 少し低めの、響きのいい水無瀬の声が言った。
 土曜の午後、Bスタジオ。八月に入ると舞台実習のレッスンも佳境になってくる。そろそろ水無瀬の頭の中では、発表会用のキャスティングが固まってきたのではないだろうか。他のグループが演技をしている最中、晃は横目で水無瀬の様子を盗み見た。
 水無瀬は今日もシンプルな白のシャツに、カーキ色のパンツで、酷く自然体なのに優雅な仕種で足を組んで椅子に腰掛けていた。白い額には水無瀬の淡い虹彩の色と似た、少し長めの亜麻色で柔らかそうな前髪が掛かっている。すっきりとした形のいい眉とその下の切れ長の瞳が、まっすぐに演技をしているグループに向けられていた。
 ――おれ、この水無瀬さんと、付き合うことになってるんだよなあ……。
 晃はいまひとつ実感が沸かなかった。しかし、あの人並み外れた美貌で見つめられて、即座に断れる人間がいるだろうか。男どうしだからという本来根本的な問題点を、軽く越えさせてしまいそうな水無瀬の感じがスゴイと晃は思う。
 岬は、全くいつもと変わらないクールな表情で、晃の隣に座ってその男っぽい横顔を見せている。
 水曜日にあんなことがあったばかりなので、晃は今日レッスンで岬に会うまで内心どきどきしていたのだが、結論から言うと、岬は全く今まで通りの態度で、何も変わったところは見受けられなかった。身構えていた自分がばかみたいで晃はかなり拍子抜けした。
 ――酔った勢いでふざけていただけかも。もしかしたらキスしたことすら覚えてなかったりして……。
 その可能性も否定できなかった。岬と飲んだのは初めてのことだったから、晃にも断言はできなかったが。なにしろあの後、ふたりで黙々とピザを食べて、パーティーはそのままお開きになったのだから。
 打ち上げの飲み会なんかでは、酔って『脱ぎまーすっ!』なんて叫んで服を脱ぎ出して、トランクスまで脱ぎそうになるのを慌てて止めなくてはならない奴とか、男女相手構わずにキスを求めるキス魔とかが、ときには出没するものだ。酔った岬が後者だったとしても不思議ではない。
 ――とても信じられないけど……。
 自分もかなり酔っぱらっていたから、あれはお互いなかったことにして触れないほうがいいだろう、というのが晃個人の結論だった。だいたい同時期にふたりの男――そうだ同性だ――から、アプローチされるなんて、これまでごく普通の、多少の恋愛体験しかない晃には非常識すぎることだった。
 
 今クールの舞台実習レッスンは、第一回目のレッスンを講師の黒沢が放棄したお陰で、一回分無駄にしている。夏季休暇があることを考えると、九月の発表会までレッスンはもう数える程しかなかった。
 この日、レッスン時間が終了する間際になって、
「これで今日のレッスンは終わります。来週は夏休みでレッスンはないんですよね?」
 代行のせいか、いまひとつ研修所のスケジュールをわかっていない水無瀬が、念を押すように晃たちに向かって訊ねた。
 こちらが一様にうんうんと頷くと、水無瀬はにっこりして言った。
「では再来週お会いしましょう。あと、今から名前を呼ぶひとたちは、ちょっと残ってください」
 そう言って水無瀬は、晃と岬、それから石井、あとふたり新人の、森尾と里中の名前を読み上げた。
「じゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした! ありがとうございました!」
 挨拶を済ませた研究生がスタジオから出て行くと、晃たちを集めた水無瀬が口を開いた。
「九月の発表会は、このメンバーでいきたいと思ってます」
 予想通りのことばに晃が岬の方を見ると、やはり予想していたのか、岬は眉を少し動かして応じただけだった。
「レッスン数が足りないので、自主練習が必要ですが、ここのスタジオが空いているときは使えるそうなので――」
 ここまで説明してから水無瀬は、
「ああ、晃くんたちがいるから、僕が説明するまでもないですね」
 と、言った。晃が発表会を何回か経験済みであることを知っているようだ。
 岬は初めてのはずだが、晃のほかには石井が経験者だった。
「それなら発表会経験者で、最年長の晃くんがリーダーということでいいですか?」
 水無瀬に訊ねられて異論を唱える者はいなかったので、晃がリーダーになって講師である水無瀬との連絡係となった。これから発表会までの間、メンバーは互いのスケジュールを調整して稽古をし、水無瀬の身体が空いているときには出来具合いを観てもらうことになるのだ。
 舞台実習のレッスン後、いつものように岬がダンスの練習をするのを見学しようと晃が思っていると、岬はさっさと更衣室へ引き上げていってしまった。
「岬、今日は踊らないの?」
「今日はこれから連ドラのエキストラ」
 更衣室で既にトレーニングウエアから服に着替えていた岬は、晃を鏡越しに見返すといった。
 ――不機嫌そうなのはそのせいか。
「あ、おれもっス!」
 訊かれもしないのに、近くにいた石井がのんきに答えた。
「そうなんだ。おれ、声掛からなかったけど?」
「おまえ土曜日の夜はいつも居酒屋のバイトだろ?」
 岬が髪を手ぐしで整えながら言った。
「あ、それでか。マネージャー知ってるんだ。でもおれ、今日はバイト休みなんだ。せっかく一緒にゆっくりできると思ったのに」
 晃がバイトをしている居酒屋はオフィス街のビルに入っていて、毎年この時期になると多くの会社が夏季休暇に入るためか客足がめっきり減るのだ。そこでバイトの晃も夏休みになるのだった。
 晃のバイトが休みと聞いて、岬が眉をしかめた。
「そういうことは先に言えよ。お前が休みと知っていたら引き受けなかったのに」
「月原先輩ズルイっスよー。今日の終了予定、二十七時なんだから」
 一日はもちろん二十四時間しかない。現場ではタイムスケジュールが予め組まれているのだが、二十七時終了というのは、二十四時、つまり夜中の午前零時を越えて、プラス三時間の午前三時ということになる。
「御愁傷さまー。もちろん宅送だろ?」
 晃が訊ねると岬が憮然として応じた。
「当たりまえだ」
 午前三時で終了では、はさすがに帰宅する足に困るので、現場からタクシーで自宅まで送り届けてもらえるのだ。
「じゃあスタジオ空いてる日は押さえておくから。またメールで連絡回すな」
 晃が言うと岬は頷いて、不承不承、石井を伴って夕方からのエキストラ現場に向かうべく、更衣室を出ていった。

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